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介護・清掃・警備

本記事はアフィリエイト広告を含みます。

聞くところによると、タイトルで取り上げた職種は三大底辺職と言われているらしい。

もっとも三大といっても完全に決まっている訳ではなく運送が入ったり飲食が入ったりと割と適当な概念っぽい。

底辺と言われながらもそんな事は働く人次第だったなあと個人的な感想(猫並み)
(2021年6月15日初稿
 2023年9月28日加筆修正)

目次

いきなり底辺だ

勤労学生も楽じゃない

長い長いひろぽんの話

 で、ここで私の今の仕事だが清掃である。

 なんでその仕事をしているかというと大元はというとコロナ禍が原因なのだが話は少し長くなる。

 ここ数年私は夜間専門学校に通いながら昼間は仕事をする生活を送っていた。

 セカンドキャリアとして鍼灸師になるべく46にして勤労学生となったんである。

昼職と夜間学校との相性


 夜間学校に通うという事は仕事を探す上でかなりハードルを上げてしまう事になる。

 まず、九時五時の仕事で仕事が終ってから学校に行けば間に合うという仕事があったとしてもまず雇ってもらえない。

 理由は簡単である。

 残業を頼む事ができないからだ。

 理解ある勤め先に恵まれたとしても、そこは仕事である。

 こちらの事情に完全に合わせてくれる筈もなく、飛び込みでどうしても残業して片付けないといけない仕事が舞い込んでくる事もある。

 そこで学校の授業があるから残業できませんという人と残業少しならできますよという人がいればそこが残業の可能性の100%無い共産主義国のデパートでもない限り残業できる人が雇われるに決まっている。

スキマ時間の奪い合い

 そんなわけで、入学前から続けていた仕事で時間の都合がつく人はいいのだがそうでない人は職探しに苦労する事になる。

 退勤時間の早い短期勤務の仕事を狙うか、土日祝勤務を狙う事になる。

 で、こういう仕事はパートタイマー希望の女性も応募するため男で尚且つ若くもないおっさんである私は厳しい競争に放り込まれる事になるのだ。

 大卒で専業主婦やってた人にちょっと手伝ってもらえたらという程度の仕事に

「元国家公務員で、今夜間の専門学校で資格取得に励んでます」

 なんて腹も出てフットワークのなさそうなおっさんが応募してきても向こうもどうしたらいいかレアケースすぎて困るんである。

 そんな理由で仕事を一旦辞めると次を見つけるのがとても困難である。

 好感度の高い見た目でもないし。この歳で好感度の高い見た目というのはかなり難しいのだ。

条件面はばっちり、実情はとばっちり

コールセンター勤務はやめとけ

 専門学校入学当時であるが、コールセンターの派遣オペレーターを私はやっていた。

 時給が良いのと、ある程度コアタイムがあるなどの制約はあるものの出退勤の時間に自由が効くという意味で非常に良い勤務形態である。

 勤務形態だけは、であるが。

 コールセンター勤務というのもブラックよりの職種とされているようであるが、その通りブラックである。

 考えているブラックを更に10倍ブラックにしたくらいのブラックでやっとその世界に触れたかという位ブラックである。

 派遣会社の正社員であるリーダー格のスタッフからガンガン厳しい指導を受けつつ多種多様なサービスの知識を身につけて問い合わせに的確に対応しなくてはいけない。

 おまけに相手からの好感度も保つため、笑顔ならぬ「笑声(えごえ)」で対応しろなどと無茶を言われる。

 私とて二十年以上お勤めしながら電話対応などもしてきた大人である。が、求められているレベルが違う。

 うまく対応できないと二十代から三十代のリーダークラスの女性社員にボロカスに言われ厳しく指導される。

 ご褒美かと思った人は幸せである。

 「私なんて早くから出勤して夜遅くまで残って、家帰ったら食事する時間しかなくてゲームもできないのよ!」

 「私さ、ある時急に涙が出て止まらなくなったの。病院行って薬飲んだら治ったけどさ」

 リーダークラスの正社員がこんな話をお互い(たまに私がまきこまれる)平気でしているブラックの階層社会みたいな世界だった。

 正直いくら物忘れが激しくて職場を出て三歩あるくとその日の業務内容をすっかり忘れてしまう私でもストレスは溜まる時がある。

 私はオペレーターとしての適性はない「殺したい系オペレーター」であったが、私より後に研修を始めて実務につき、私とは比べ物にならないほど適性のある人がいつの間にかいなくなっているのが当たり前。

 ある時、それなりに仕事してきたんだろうなという50前後の男性が実務に入ったが、それまでの経験が邪魔をしたのか自己判断でオペレートをしてしまい20代のリーダーにちょっとキツめに注意されていた。

 それ以降見なくなった。

 比べると私は阿呆ではあるが頑張っていた方らしい。ある時のお説教で

「あんたがここに居られるのは、一生懸命やってるのを皆見ているからなのよ!それがなかったらとうに辞めてもらってるわ!」

 と褒められてるんだかなんだかわからない事を言われた。リーダーといえど20代後半、いっぱいいっぱいなのだろう。

 私は半年で精神を病んでしまい辞めたのだが、一緒に採用されて研修を受けた同期はもう一人も残っていなかった。

 条件は良くても精神に異常をきたしては学業との両立どころではない。

恐ろしく楽な仕事に出会う

 しばらく無職として家族の冷たい視線に耐えつつ職探しをしているうちに、営業補助のパートタイマーという仕事に就く事ができた。

 仕事の内容はというと、外回りの営業さんに一緒についていきノベルティグッズを渡して挨拶をして帰るお供をしたり、ノベルティグッズ用にと安く仕入れたハンドクリームに会社のステッカーを貼って数を揃えたりといったものすごく気楽な仕事であった。

 仕事の大半は外回りで移動中に営業さんとテレビを見ながらの雑談である。

 しかも弁当持参なのに毎食おごってもらえるのである。当然一番安いものだが。

 これでお金が貰えるのだから世の中ありがたい。

 どういう仕組みかというと、某冠婚葬祭業大手の営業を病院と老人ホームを重点的にかけていくんである。

 100均でまとめ買いしたハンドクリームなどのノベルティは窓口のお姉さまがたへのお近づきのしるしであり、山ほど配る。

 同時に老人ホームに岡山のエンターテイナーのリストから都合のつく人をみつくろって出張慰労会をプレゼントしたりする。当然無料である。

 そして病院のイベントには応援として人手を出し、忘年会をはしごして先生方との顔をつなぎ、なんなら社内運動会に出店まで出したりする。

 で、何かのおりには当社の葬儀部門をよろしくという訳だが、昼の移動時間に夜の接待と拘束時間は半端ではない。

 この営業さん、話していると声はすごくほがらかで好印象なのだが目が全く笑っていないのに気づいてからは怖くて仕方がなかった。男は一歩外に出たら七人の敵がいるというが、まさにこの人はそういう世界で生きているのだなあとご機嫌取りに精をだす私だった。

世界的危機が私にダイレクト

コロナ禍の直撃による失業

 が、である。 

 んな風には世の中甘くなかった。コロナ禍の直撃を受けたのである。

 運の悪いことに、営業対象が病院と老人ホーム中心である。

 早々に部外者は出入り禁止となり業務自体が行えなくなった私の部署は消滅した。

 正社員は別部署への異動という救済があったが非常勤にそんなものはあろうはずもなく、私は呆気なく解雇された。

定期的に不幸になる体質

 その後、必死で仕事を探してあるコンビニストアに拾って貰ったのだがそこがとんでもないブラック体質で交通事故で怪我をしたのをきっかけに退職に追い込まれたのが昨年の冬である。

 我ながら波瀾万丈すぎて他人事みたいだが、まあ定期的に不幸になる体質の私なので運命を嘆くよりさっさと職探しを始めた。

清掃業界に拾われる

来るもの拒まず


 そこで幾つか断られた後、新しい事業展開の為スタッフを揃えなければならず

「イエス、サー」

さえ言えれば誰でも良いという積極的な攻める採用姿勢の某清掃会社に拾ってもらう事ができた。

 肝心の条件であるが、朝七時から十時までの短期勤務を募集していた上に前職のブラックコンビニは最低賃金だったがそれよりかなり色をつけたお給与がいただける。

 午前中働いて、午後は自習、夜は学校と実に美しくシンプルな生活が送れそうではないか。

 いままでロクな目にあっていないのに性懲りも無く甘い未来予想図しか描けないのが学習能力がネコと同等と言われる所以である。

初日に体で納得

 一日目の勤務で、なぜ清掃が三大底辺職に挙げられるのか分かった気がした。

 とんでもなくきついのだ。

 元々掃除は全身運動になるので家事として考えると体に良いと言われているが、それは住んでいる家だけ自分の判断で掃除すれば済むからいいのであって、全身運動を3時間休みなく続けると考えたらそこらへんのジムでやってるエクササイズなぞぬるいと思えるくらい消耗する。

 なぜ初日で辞めなかったのかといえば、金も職も他の見込みがなかったからに他ならない。

 実は三大底辺のうちの一つ、警備業に応募したのだが先方からお断りされるというショッキングな目にあったので働けなければもう死ぬしかないという所まで追い詰められていたのだ。

 元々体力も落ち、立っているだけでしんどいお年頃である。それが一日一万歩以上大型バイク並に重たい床洗浄器を押して歩くのだからキツくないわけがない。

3時間で息も絶え絶え

 仕事が終わると疲れ切ってバイクを停めてあるところまで休み休みでないとたどり着けなかったり、身体中が軋む痛みに耐えかねて湿布を全身に貼るだけでは足りずロキソニンまで気休めに服用したり(当然効果なし)と3時間働いて回復に12時間以上かかるような

「学業との両立」

どころではない毎日が続いたが、生計を立てるのが先である。

 勉強は後回しにしても死にはしない。

 社会的には死ぬかも知らんが、仕事が続かなければ生命的に死ぬんである。自分の医者代くらいは自分で出さないと惨め極まりない。

 そんな後のない状態で始めた清掃業だが、なんとか最初の1ヶ月を生きて終え、2ヶ月目も終える事ができた。別に楽にはなっていない。

「ケツが割れるようだ(西原理恵子)」

 としか表現の仕様のない身体の痛みは慣れるどころかどんどん酷くなり、仕事が終わり事務所を出るまでは気合で努力するがその後は骨盤や股関節が痛くてまともに歩けない。

餃子一日一万個、ひろぽん一日一万歩


 3時間で1万歩歩く仕事なのでハードワークなのは当然なのだが、これをフルタイムでやっている人がいるというのが理解できない。

 どちらにしろ疲れる事には変わりなく、仕事が終わって今こうやって日記を書いているが椅子から立ち上がろうとしてもその気力はない。

 だるさというか倦怠感は残る。

 ちなみに清掃が底辺職かというと、働いている人は普通・・と言いたいが電話しても出ずに欠勤するのが常態のスタッフがいたり、若いスタッフは顔を覚える前にいなくなったりと中々レベルの高い話に事欠かない。

 私も月に一回か二回は必ず体調を崩して休むという事で毎回お叱りの電話がかかってきている問題社員ではある。

 が、自分がそういうエピソードの主役にならないよう生きていたいと思う

その後



 激しい肉体疲労に夏の暑さによる消耗が重なった私はもはや学校どころではなかった。

 仕事に対する向上心も勤労意欲も失せ、毎日15分はさぼってスマホで時間をつぶしていた。それでも押さえるラインは押さえていてバレなかったのだから大したものである。

 が、夏の台風の夜、ワインでも買いにいくかと外出した私は原付で車と正面衝突する。過失割合は1:9くらいで私の責任である。バイクの修理も痛いが体も痛い。しばらく仕事は休んだものの痛めた膝は治らない。

 歩くのも難儀だし階段の昇り降りは人形劇の人形かというくらいガクガクと不自然な動きになる。これは辞めないと膝は治らないと悟り、就業規則にあるとおり四週間前に退職の意思を伝えた。

 労基法で言えば二週間前に伝えておけばいいのだが、ぐちぐちと文句を言われるのがもう嫌だったのだ。

 そして四週間きっちり勤め上げて辞めた。この時の自分は偉いと思う。

 クリーニングして返却するきまりの制服がわりのポロシャツは何も言ってこないので普段着につかっている。ここは威張れたものではない。

 そして、事故の後から進めていた障害厚生年金の申請が受理されて私は一時的だが財布の中身に怯えないで済む余裕を得る事になる。

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