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地味に辛いよロンドン留学⑥「ひろぽん、学校でナンパする」

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ようやく6話目にして学校に初投稿する所までたどりついた。

この分だと日本に帰りつくのは100話目かもしれない

(2023年11月26日初稿)

いままでのあらすじ
目次

学校に行こう

留学の話をしている筈が、六話になるまで学校にすら行っていなかったひろぽん。体調も復活したので語学学校に入学の手続きに行くのだった。

当たり前だが英語で手続き

語学学校まではバスで一本と非常に交通の便が良い。事前に受け取っていた案内に従って語学学校に受講手続きにようやく出向く事ができるようになった。

ハムステッドというそこそこに高級住宅街の中にある語学学校であるが、学校の前にバスの停留所があり非常にロケーションとしては良い所だった。

日本にいる時に受け取っていた受講許可証などの書類を持って語学学校に受講手続きを取りに行ったのだが、受付のお姉さんズは現地の方々なので日本語なぞ通じない。

書類を渡して手続きを取るのだが、難しい事を言われてもわからない英語学習者には慣れっこなのか非常にスムーズに事は運び、受講クラスを決める為の学力テストまでホイホイと話は進むのだった。

大きなミステイク

仕方がない話とはいえ、時間はバイトと大学の単位稼ぎと彼女とラブリーに過ごす事だけで手一杯だった私は、英語の勉強というものを日本にいた時に全くやっていなかった。

クラス決めの学力テストの結果は、中の上というか上の下というか、あまり自慢のできる結果ではなかった。

だからこその留学ではあったのだが、以前

「一緒に留学しようと話しておきながら私の手続きを全てコピーして手を抜いた」

大学の同期の子と比べるとTOEICで100点くらい差がついてしまっており、日本でそれなりに英語の勉強ができていれば上級コースから始められたのになあと仕方のない事ながらため息が出るのであった。

私は受験英語特化型なので、読み書きはできても聞く事と話す事は苦手なのである。

発達障害のせいかどうかは分からないのだが、特に聞く事が大変苦手だったので、しばらくしてクラスの担任から

「君は日本にいた時も日本語を聴きとったりするのに困難はなかったのか?」

と尋ねられるレベルで読み書きとリスニングのスキルの差が酷かった。

友達100人できるかな

独りで学校に通って授業を受けていてもつまらないだけである。そんな事を考えていた私は学校で色んな国から来た留学生と話して接点をつくろうと努力はしたのだが、なかなかこれが難しいのだった。

何を勉強するのか考えてね

私が受講申し込みをしたのはスタンダードな英語力養成コースだった。どんなコースかというと、高校とかの英語の授業を思ってもらえば大差はない。
英語で書かれた英語学習用の教科書を渡されて、予習なり復習なりして授業を受けて講師の解説を聞く。全部英語である。

「セカンドランゲージとしての英語学習」というメソッドが確立されているので、英語で英語に対する勉強ができるようになっているんである。

私は「一般教養としての英語を勉強する」スタンダードコースを何も考えずに申し込んだのだが、語学学校で最初の知り合いとなった日本人の留学生は「ビジネス英語」コースを受講していた。

当時の私の感想としては、そんなに対象を絞って勉強しても面白くないというか辛そうだなというものであったが、大きな間違いであった。

就職活動をしていた時、自力で費用まで出して留学したという話は非常に受けが良かったのだが肝心なのはその語学力で何ができるかという事である。

留学までこぎつけた行動力は評価できても、それが仕事にどうつながるのかを言語化できないうちは就職活動でも最後の一押しが足りなかったのだ。

英語でニュースが理解できたりするのは結構な事であるが、仕事でビジネスレターの一本もまともに書けないのでは話にならない。それもクリアーできる人は本当に教養としての英語を十二分に身に着けているのだろうが、就職活動の武器にするぐらいなら「ビジネススキルとしての英語力」を身につける事まで考えておくべきだったと今にして思う。

英語で小論文が書けても、取引先へのメールが書けないようでは語学力を「どう」活かすか思慮が足りなかったといっていい。

まずは話しかけよう

この時点では私はロンドンに知り合いもおらず独りっきりである。それがいい事だとは思わない。英語は使ってなんぼである。

そんな事もあり私は語学学校初日から何となく話ができそうな相手を見つけては声をかけていた。問題は日本人の、それも女性が多いので気が付くとお昼を7人くらいの日本人の子と囲む事になっていたりする事であった。

理由はというと、

「日本人ならなんとなく声をかけれても、他の国からきた学生には何をはなしのきっかけにしたらいいのか分からなくて話しかけようがない」

というコミュニケーション能力の問題であった。

日本で暮らしていれば、「なんとなく話題をふって話をする」のは難しい事ではない。

が、外国人留学生あいてに「なんとなく適当に」何を話したらいいのかはさっぱりわからんのである。「雑談」というのも高度なコミュニケーションの一つだなあと苦労しつつ思ったものだった。

その「なんとなく」の感覚は他の文化圏でもあるらしく、色々な国からやってきた留学生同士なのに気が付くと同じ言語圏の学生とつるむ事が多くてこれでいいのだろうかと悩みは尽きないのである。

ひろぽん、仲良く飲む

そういう悩みに直面する前、受講登録しに学校を訪れた際に経緯は忘れたがアルジェリア系フランス人の子と仲良くなり近所のパブに差しで飲みに行く事になった。

アルジェリアというのは地中海をはさんでフランスに面しているアフリカの旧フランス植民地であり、歴史的な経緯からもフランスにはアルジェリア系の移民が非常に多い。

と、いう歴史の話について知ったのはかなり後であるが、そのアルジェリア系フランス人の子は明るく話していて楽しく、私のおぼつかない英語力にも関わらず四時間くらいパブで飲みながら盛り上がった。

何でそういう話になったのかはわからないが、「水滴」という言葉がお互い出てこなくて頭をひねり、

「dripping?」

と辿り着いてお互いのそれまでの苦労が面白くて大笑いしたのを覚えている。

失敗した失敗した失敗した

何が大事か考えよう

そうやって登校初日から運よく話が弾む相手が出来、その後も学校で顔を合わせたら

「今日パーティーやるんだけどこない?」

と誘われる仲になれたのだが、天井を突き抜けるレベルでマヌケな私はその頃勉強一筋に打ち込むあまり

「勉強しないといけないからいけない」

と断る勿体ないにも程がある理由で断っていた。一日や二日机に向かうのを止めてパーティーで人との交流を深めたって罰はあたらないというのに。

そのうち、誘われる事もなくなり

「声のかけられないボッチな日本人男性」

になるのだった。

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コメント一覧 (4件)

  • ドリッピーという英語教材に数万円つぎ込んだことがあるニッチな読者です笑

    そのパーティーに参加していたら、私らこうして交流することが無かったかもなので、結果良かったデス笑
    ほんと、この時から数年では無く、〇十年時が経ってしまいました。
    不思議な気持ちになりました。
    ふと、あの頃の気持ちを思い出させてくれた記事でした。
    ひろぽんサン、ありがとうございますヽ(^o^)丿

    • まかさんここでもドリッピーをひっぱりますかw

      まあ、ここで私がパリピになっていたら人生どうなっていたか想像もつかないですね

      しかしブログに起こしてみると記憶から抜けている所があったり数十年ぶりに思い出した事があったり、あれだけビビッドだった時期も記憶に上書きされていくのかと不思議な気持ちになりました
      その頃の年齢×2ぐらいの年齢に私らなってますからね

      ちなみに、留学中につけていた日記があり、本棚にちゃんとあるのですが怖くて開けずにいます
      多分物凄くどす黒いものが溢れていてショック死すると思うんですよ

  • こんばんは

    私の中のひろぽんさんは、『頭のいい大学に通い、自力で留学までなしとげた、TOEIC800点の人かっこいい人』なので、こんなに語学学校で苦労されているとは、驚きでした。笑

    気がついたら、日本人同士でつるんでいた。という話はよく聞きますが、本当にそうなんですね。
    差しで飲みに行ったのはすごいです。なのに、パーティーを断ったのは、痛手でしたね。勿体無い〜!

    以前おっしゃっていたと思うのですが、留学して何をしたいのかを明確にしていなくて、語学留学も、一筋縄では行かない(かなり乱暴に解釈した意訳です)などと教えてもらいました。そうは言っても私なぞ、『留学したら英語話せるようになるし、字幕なしで映画を見れるんだ〜』という不届な理由での留学動機だったかと思います。実際に、英会話やらの語学学習は、けして仕事で生かそうということがメインではなかったのでした。

    でもね、私の友人のお嬢さんは、半年くらいホームステイで留学して、帰国したらの夢は『上智大学に入り、ソフィア祭の実行委員をする❤️』でした。若い子は、なんでもありの留学なんですね…。その子は、法政に行きました。ソフィア祭ではありませんでした。
    コロナ禍でその友人とも会えていないので、お嬢さんのその後は聞けていないです。IT関連に就職したかと、記憶しています。

    学校の事を書くのは大変だとのこと?でしたが、真面目に学校の内容を読むよりは、そこかしこで生まれた、レールを外れた逸話の数々を聞くのが楽しいだろうなぁ、という噂話好きなおばさんみたいな(実際におばはんです)希望を持ったりしています。

    次回も楽しみにしていますよぉ〜

    • おはようございます

      学歴職歴と肩書だけみると立派に見えると主治医に言われたひろぽんです。
      朝から泣けてきます。

      勉強だけの生活をひたすら続けるのも神経に良くない上、日本に残してきた彼女との間が地獄のようにこじれてしまい気が付いたら勉強3に対して日本人と出歩くのが7になってしまい勉強はとうとうゼロになってしまいました。

      日本人も、数か月の短期留学生(まあ、遊びに来ているわけですが)が常に入れ替わり続けているので出会いは多く腐りはしないのです

      志は思い切り腐ってる訳ですが

      知り合いのお嬢さん、上智大学から法政大学ですかー。しょっぱい話のように思えるのは私が団塊ジュニア世代で「早慶上智」と言われていた時代に受験生をやっていたからですね。

      今は上智は見る影もなく、法政大学は地道に生き残っているあたり本当に来年の事を言うと鬼が笑うというのはこういう事なのですねえ。

      真面目な勉強への取り組み方や、珍しいメソッドの語学学校(ノーベル文学賞をとったガルシア・マルケスがその学校の生徒だったと自慢していたがだからどやねんという話)、それなりに勉強や学校の話でユニークなネタもあるのですが肩が凝ります。

      次回は勉強漬けだった野心にもえる若者がどうやって転落していったのかが読めるかもしれませんです

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