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私はいかにして心配するのをやめて鍼灸師を目指したか④【完結編】

本記事はアフィリエイト広告を含みます。

すったもんだの末、公務員として安定を得たかのように思えたがそれは幻想だった。精神を病んで地元で先の見えぬ派遣社員をやっていた私は、一念発起して鍼灸師としてセカンドキャリアを築くべく専門学校に入学するのだった。
(2021年7月10日初稿
2023年9月19日加筆修正)

 *私の鍼灸院・整骨院に関する記述は全て当時のものであり、現在の制度にそぐわぬものなどがあるかもしれませんが時代の変化によるものであるとご理解ください

 

前回はこちらです
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私はいかにして心配するのをやめて鍼灸師を目指したか③ 就活は氷河期、仕事はブラックと艱難辛苦の日々。公務員として社会の為に働く事を考え採用された。
目次

【完結編】まで鍼灸の話がまともに出ないのは凄いと思う

私とて努力はしている

不器用な人が食べている鴨川うどんに負けず劣らずうねうねして掴みづらい私のブログであるが、さすがに

「鍼灸師」

どころか

「鍼灸」にすら触れていずに三本も原稿ができてしまうとは思ってもみなかった。

東洋医学には、病気を起こす体質を「本」と呼び病気として表面に現れる症状を「質」という。

そういう概念があるため、

「本に触れんと表面だけこねこねしとってどないすんねん」

「本、本いうてるうちに実際の具合の悪さが進行してったらどないすんねん。まずは質をなんとかしてからや」

という2つの治療方針の対立を生み出している。

 このブログも

「もうテーマは忘れて日々のしょうもない事で小手先の文章でええがな」

「きちんとテーマに沿わんとしょうもない事ばかり針小棒大におもしろおかしくやってるだけやとあかんからはてなでブログを始めたんやないか」

 こういう2つの方針が私の中でせめぎ合っている。が、とりあえずテーマは大切なので今回で鍼灸師を志望するまでを絶対書き上げる事にした。 

いままでのあらすじ(その①~その③)

 就職して七転八倒のまま、公務員になってみたよ。生活も安定安泰するかな?

これからのあらすじ

 安定安泰なんか僕の人生にはないんだよ!

That’s 公務員の世界

最初から不穏なデビュー

まあ、中途採用という事で文部科学省Ⅱ種行政職員(当時)という形で山口大学で働く事になったのだがとにかく組織のカルチュアがあわぬ。

最初に就職したIT企業では何か問題があると

「何?問題?どないすんの?できる事があるんなら考えてさっさとやれや!できんのなら上司に言うとけ!」という風土なのでひと手間かけても便利になるんならなんぼでもやれというか効率化を常にやらんかったら仕事が間に合わないというカルチュアの世界であった。

 それが災いし、新しい職場で手書きで作成しているリストに対して

「これ、なんで手書きなんか(鉛筆で下書きしてペンで清書)やってるんですか?EXCELでリストのテンプレ再現したったらキーボード入力で済むし清書の手間も省けますよ」

 ととんでもない爆弾発言を配属2週間でかましてしまったのである。

他にも様子見の為大人しくするという処世術より、ガンガン自分について語って理解を得るのが良しという関西の悪い処世術を身に着けていた私である。

遅かれ早かれ口を滑らすとは言え避けられぬ不幸であった。

経験がないのだから大人しく様子見をするという知恵がついたのはここでの経験が元であるが、逆に何ひとつ実質のある事は言わないでおくという反対方向に逆ブレした性格になったともいう。

とんでもない地雷

 で、さきほどの発言の何が問題かというと公務員の世界では、であるが書類は書式についてどういうレイアウトにするかとか規定が決まっているんである。

それを無視して勝手に電子化しましょうよという私の提案は

「お前の言うとる事は公文書偽造罪にあたるとわかっとんのか!」

と激烈なお叱りを受け、ついでにその方からから漂ってきていたパワハラの雰囲気が実態を持つ強風として私に吹き付け始めた。

聞いた所によると、私が山口大学に採用されたのは私が配属されたその席に座っていた新卒職員が1年たたずに本人の退職と転職(警察官に転職していった)で空席になってしまいとにかく穴埋めが必要だったからという理由らしい。

1年立たずに新卒前任者が逃げ出す職場とパワハラの風を吹かせる教育係ってどうなのよという話だが、どうもこうもない所であり、4月1日に採用された私がGWに遊びに来た家族に「死にたい」と涙ながらに相談するようになるというとんでもない所であった。

癒しのちから

整骨院に救われる

 ある日もこってりと怒鳴られもう脳の芯がぼんやりしてきて「死ぬのかなあ俺」などと思っているとき、帰路にあった整骨院(国家資格『柔道整復師』を所有した人のみが名乗れる施術院です『整体』ではありません)にふらりと足を踏み入れて肩こりを見てもらおうとした。

 そこで、感じたんである。

 人の手で丁寧に身体の状態を見てもらい、ケアしてもらう事で人間どれだけラクになるかという慰安のちからである。

 見てもらったのは肩こりであったが、それでも数十分のケアかつ千円未満の料金でボロカスのごとく扱われている自分が息をふきかえしたのである。

人心地がつくというのはこういう事かと思った。

人であるという心地が持てるようになったんである。

 私はほぼ毎日帰路(帰れる日は〉その整骨院に通い、そこで少しだけでもリフレッシュして延命をはかっていた。整骨院との二回目の出会いである。

そして、鍼との出会いもあった。

ここで鍼灸が登場する。彼は狂っていた。(「虚構船団」筒井康隆)

 田舎大学だから、という訳ではないが山口大学の地元は天皇陛下もお認めになられたという温泉地でありスーパー銭湯の類もそこそこあった。

あったが、風呂入ったから何やねんと大して温泉そのものに価値は見いださなかった私ではあるけれど利用者向けメニューの

「鍼灸・マッサージ(予約制)」

に目をとめた。マッサージはあちこちで受けているが鍼灸というのはない。

一度試してみるとしよう。

どうせ独りで山口に来てるから時間自由だし・・・

 今から考えると結構な金額であるがそれだけ腕の良い鍼灸師さんでもあったのだろう。

肩こりをその時訴えたのだが、一回の鍼灸治療で肩こりが全部取れてしまったのである。

毎日の整骨院(一回の治療で小一枚、つまり千円〉では気持ちよくはなっても肩こり自体は治らない。

今回の鍼灸は結構な治療費(銭湯の入浴料+サービス利用料)で大一枚(一万円の事である)という差は独身貴族(貴族でもなく独身なだけだが)の財布からもそうそう出せはしない。

 と、いう事情で普段のケアは整骨院、重症になると入りもしない温泉の利用料を払って(100円シャワーであっても私は文句を言わなかったと思う)鍼を打ってもらっていた。

 その後も色んなマッサージなどの慰安系からカイロプラクティックなどのガチンコ系などボディケア関係のつまみ食いをしていたのだが、その蜜月は長く続かなかった

最初から最後まで糞な職場と土地柄でした

 書いていなかったが最初のパワハラ教育係でおかしくなった私は次の部署の激務で(そこも身体を壊して辞めていく人が多く長続きがしないというブラックな係であった)完全に壊れてしまい休職してしまっていた。

そして復職したのだが、もう働きたくなくて左遷用の窓際部署として農学部付属農場に飛ばされていた。

そこでのんびり過ごしていたのだが、左遷されるのは私だけではない訳で精神的におかしくなってしまったパワハラ系上司が左遷されてきてしまい、大騒動が起きた。

 大騒動の結果として再び休職する事になってしまい、結果として十数年つとめた(半分はネットで2ちゃんねる《現5ちゃんねる》を見て過ごしていたがサービス残業を計算にいれると人並みに働いていたと思う)大学職員を辞する事になったのである。

 元々地元でもなんでもなく、日本で一番か二番目に人口が少ない県庁所在地と言われる過疎の土地での暮らしに未練もなんにもない。とっとと後にして地元岡山県へUターンを目指す事にした。

 余談ではあるが、それ以来私は大学職員としての暮らしを提供してくれた山口という言葉が非常に嫌いになってしまった。山口宇部産業道路から山口もえまで山口と名前がつくだけで嫌なのだ。困ったものである。

公務員の潰しの効かなさは異常

転職市場での私の価値

 そしてUターンして新しい生活が始まった。が、当時の私は三十代半ばと再就職には非常に難しい年齢であった。

又、前職が公務員というのも再就職を非常に難しくする要因であった。

民間企業では実務やキャリアとして公務員の業務は見てくれないというか評価のしようがないんである。

外から見たらたしかに大学職員という職種からして業務内容が不明な所は多かったと思うし、予算の立案から実行、その他諸々(中には官製IT土方としての業務もあった)の経験を民間企業に換算してどう評価するかどう活かすかというめんどくさいノウハウを持っている所など天下りで偉い人を受け入れている大企業か、日々役所を日参して図面の修正で役所の最前線とやりあっている気合の入った現場系企業しかなかった。

で、そういう民間で活かせる特殊なノウハウは私にはもちろんなかった。

派遣社員を転々と

 結局、

「事務処理に熟達しているけど専門性のない三十代半ばのおっさん」

として派遣職員になるしか道はなかった。

最初の頃は事務だけではなく他業務の経験も活かした派遣さんとして岡山では最高の時給をいただいていたのだが、正社員にはなれない。

年齢が上がるにつれて事務の案件も若い子に回っていき自分に回ってくるのはコールセンターのオペレーターとか病院の救急病棟で24時間受付などといった私には元々向いてないので余計に厳しい仕事ばかりとなってきていた。

セカンドキャリアは鍼灸師

 そこを見かねた親が、学費は奨学金、生活費は有る時払いでいいからどっか専門学校行って人生立て直してこいやと手を引いてくれたのである。

それが無かったなら今でも職を転々としていた事だろう(専門学校生をやりながらでも転々としているので差はないかもしれない)

 さて、なんの専門学校に行くか

 もう、学歴も職歴も、前歴に縛られることもない

 自分がやって楽しかったこと、充実感のあったことを選べばいい

 マッサージはするのもされるのも良かった

 マッサージをしてくれていた柔道整復師はどうだろう?

 整骨院はブームでコンビニより数が多いといわれる過当競争なので駄目。

 なら、同じ流れで鍼灸はどうだろう?

 鍼灸なら技術があれば民家の一室でせんべい布団を敷くだけで年金生活者になってもやっていけるような気がする

 と、今までの絶望と少ない前向きな体験から久しぶりに自分の将来(見たくない)を見据えて

 私は鍼灸師の資格をとろうと岡山県には一校しかない専門学校に足元を見た高い入学金を払って入学する事にしたのであった。

 ちなみに現在、私が住む岡山県では競争相手となる専門学校の設立準備がすすめられており母校のボッタクリ体質についに終わりがきたかと学生一同ざまあみろの精神で団結している。

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コメント一覧 (2件)

  • まかさんおはようございます

    ひろぽんです
    やっぱり、鍼灸・整骨院関係の保険のずさんさは他の診療科目を経験していると明らかですよね

    まあ、それで交通事故で曲がらなくなった膝が治ったので文句も言えないのですが…
    大学のお仕事ですが、国立大学法人に鞍替えして以来自由闊達に偉い人たちの我儘がさく裂しているようですw

    まかさんにも心の平穏をお祈りします

  • ひろぽんサン、こんばんは♪

    そうです、私がバイトしていた所も例の保管の不正請求をやっている匂いがしました。
    そのバイトに就くまで、麻酔科のクリニックで受付もしていたので『アヤシイ!!』と思って直ぐに辞めました。
    他のバイト君たちは、そこの院長の勧める学校へ通う子たちばかりでした。それが合格するのに手っ取り早い、と言っていました。

    せっかくの大学のお仕事、超残念です。
    紙と手書きという、二刀流の伝統芸能を守り抜かなければならなかったのですね、きっと。。。
    ほんと、クソ過ぎます!!

    いま通院してるクリニックでも、
    『今日はどうされましたか?』と聞かれ、いつものお薬ください、と答えると
    『では、そのようにこの紙に記入して出してくださいね。』と、名刺サイズの紙を渡されます。笑
    まか『え?じゃあ、いま何で聞いたん?』→『カルテに貼るので』→まか『は?いま患者って私しか居ないし、予約制やから次は私ですよね?その作業必要なんですね☆すごいデス!』と、つい伝統芸能にイラっとして、要らぬコメントをしたことがあります。笑
    他人の職場でもそんな伝統芸能、クソ過ぎてムムムとなります(;’∀’)

    ついでに、ぼったくりな学校はつぶれるコトを願っております。
    ひろぽんサンにも心の平穏が訪れますように。

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