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拒幸症②

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先日の模試が良かったのでやる気を出して日付をまたいで勉強していたら朝寝坊して仕事に遅刻してしまった。

今朝も目が覚めたら一時間少々寝過ごしていた。

タイムリープとか時間泥棒とか色々理由は考えられるのだがそんな事は言っていられない。

遅刻して給料が減ったというお金が大好きな私にとって非常に不愉快な朝から一日が始まった。

それはさておき、前回の続き。

静かな生活を夢見て始めた国家公務員としての生活が破綻したあたりからだったと思う。

(2021年7月26日初稿
 2023年9月5日加筆)

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拒幸症① | うるおいブログ 幸せな筈の状況を実感できなかったりする。人生の中で全力で幸せから遠ざかる道を選んできた結果かも知れない。まず自分は発達障害など人生の最初からボタンを掛け違えてき...
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うっかりしたら死んでそう

気力は仕事と死なない事に全振り

 山口大学に入庁(当時は文部科学省の出先機関だったのである)して最初に配属された部署ではクラッシャー上司に毎日罵倒され続けた。

 事情を知る人から聞かされたのは、私の採用がきまったのもその部署に配属された新卒職員が一年もたずに辞めていってしまった為その穴埋めが必要になったからという話だった。

 私が耐えていたのは、その部署は7月に部署統合で消滅し別の部署へ異動できる事を知っていたからである。

 部署の人たちの中には私に同情的な人もいたのだが、人間関係が何よりも大事なムラ社会の中でややこしい存在であるクラッシャー上司から私を敢えて守ろうなどというメリットの無さすぎる事をしようとする人はいなかった。

 せいぜい飲み会の時に

「〇〇さん(クラッシャー上司)に見つからないうちにこの酒持って帰ってやれ」

 と振る舞い酒(会費制だが)を忍ばせてくれた主任がいたくらいである。

 部署統合も消滅も、その部署の職員にとっては一大事であり7月が近づくにつれ会議という名目で私以外全員が席を外す事が増えていくが私にはどうでもいい事だった。

 ただその間は怒鳴られる事も相手の機嫌を気にしつづける必要もなく、平和で窓の外を眺めていられた。

どうあがいても絶望


 異動が決まった先は、その激務で体を壊すものやそのまま辞めた者がひっそりと出ていくが表立っては誰も口にしないある部署だった。

 ある部署の業務システムを用いた業務の担当だったのだが、その担当だけ業務量が異常に多くて潰れていっている。私の前任者は処理しきれなかった書類を金庫の中に隠していた事が発覚して飛ばされる事が確定しており、またもや穴埋めの生贄として私に白羽の矢が立ったという事だった。

 とにかく同じ部署だというのに担当業務の違う職員との負担差が極端で、隣の席の主任はほぼ毎日定時退庁しているのに私は家に帰るのが日付が変わる頃などというめちゃくちゃいびつな体制になっていた。

 業務システムのマニュアルを調べていて分かったのは、今ほぼ私一人が担当して使用している業務システムは本来六人体制での運用を想定して作られたものという事だった。人員削減がじわじわ進んでいった結果らしいが、六人分の業務を一人で回せる筈がない。

 マニュアルを読んでそのシステムには現在使われていない機能がいくつもあった。

 つまり、ある業務を削ってしまい不要になった機能という事だが、そこまで削っても一人ではこなしきれない業務量だった。

 精神的に疲れきっていた当時の自分の処理能力や思考力、判断力は極度に落ちていたのも業務が手に余る原因ではあった。

家が遠い


 私の家は大学から10分ぐらいなのだがそこまで帰る気力すらわかず、もう使われなくなって何年もたつ宿直室のかび臭い布団にもぐりこんで寝る時だけが唯一幸せだった。

 身体的にも疲労がたまっており、横になって休めるというだけで何よりもありがたかったのだ。

 それまで使われてなかった宿直室に泊まり込んで帰らない職員がいたらそれは面白おかしくかどうかは知らないが噂にはなる。

 上長に呼び出され何故家が近いのに帰らず宿直室を使っているのか尋ねられたのだが、

「人に相談する」

 という発想のない私は沈黙するしかできる事はなかった。

 週末の心療内科通いでは、薬を服用するより効果があるといわれている抗うつ剤の点滴を毎週受けていたのだが効果は感じられなかった。

 結局、前回で触れたたリタリンという今では処方適用外にされてしまった薬を粉にして鼻から吸引するという乱用行為によって何とか動いていた。

 平日は仕事だけで気力が尽き、帰宅しても洗濯ものどころか風呂に入る気力もなく酒を飲んで寝るだけで、週末にリタリンの力でハイになりその勢いで掃除洗濯家事その他を済ませるというリタリンに依存しきった生活がなんとか続いてはいた。

 複数の精神科や心療内科を掛け持ちして受診し、リタリンを多重処方させるというその場しのぎの上で成り立っていただけであるが。

 こんな生活が続けられるのかとか、掛け持ち受診で生じる診療費などの工面はどうするのかなどといった事は考える事もできず、とにかくその日を死なずに終えて布団に入るまでで精いっぱいだった。

 どれだけ余裕がなかったかというと、虫歯になったのだが平日は仕事が片付かないのと自分の予定をそもそも把握できていなくて守れないので治療に行く事ができず、悪化してしまって抜歯するしかなくなった歯が何本もでてしまう位だった。

 特に奥歯は数本ずつないというありさま。

 風呂に入る余裕がないという事は当然歯磨きもしていなかったので口の中はボロボロになった。

 もう、まともに体が動かない。

 死んでしまいたい衝動が自分の中にあるのに自分は死にたくなく、二つの衝動に振り回されては職場のトイレで泣いていた。

顔は笑って


 内面は限界まで荒れ果てかけているにも関わらず、職場では部署主催の職員旅行に参加して最初から最後までひたすら寝続けたり、前任者である同期採用者が何もしなかったからとレクリエーション委員として学部教職員参加のボーリング大会の幹事をやらされたりと自分でもめちゃくちゃでとにかくその場をしのぎながら何とか破綻している生活をつくろい続けた。

 日曜日に車を出してボーリング大会の商品を買い出しに行ったり、幹事兼司会だった為大学の備品であるマイクとスピーカーを又もや自分の車をわざわざ出してボーリング場まで運び込んだりと今思い出すと本当によく生きてたなと別人を見ているような気にすらなる。

 良く覚えているのが、景品の案を予算をもとに出して総務にうかがいを立てたら

「賞品はもらえない人が出ないように薄く広く選ぶものなのよ!なんで上位だけ高い景品が出るのはおかしいでしょ!」

 と心底馬鹿らしい理由で怒鳴り込まれた事とか

「それではボーリング大会最後、ブービー賞の発表です!実は私、ひろぽんがブービーでした!」

 などとくだらない司会をやっていた事だ。

 そんな事までやってしまっていたから自分が常に死にたいと思っている事なぞ誰も気づかなかったのかもしれない。

本当に受けたかった電気ショック

 無理はいずれ破綻する。というか、したらしい。
 
 どういう事があったのか覚えていないのだが、多分動けなくなって仕事に穴をあけてしまったのではないかと想像するしかない。

 病気休職という形で療養する事になったが、独り暮らしなので気が付いたら死んでいたりする可能性があると岡山の実家で療養する事になった。

 病気休職という形で治療のための時間と気力を手に入れた私はある治療法を切望していた。

 電気ショック療法である。

 従来のイメージとは違い、麻酔をかけた状態で電気ショックをかけるので痛みや苦痛を得る事はないという所まで調べていた。

 そして、脳に電気ショックをかけて再起動を促す事で治療効果もかなり見込めるとも知っていた私は地元に戻ると精神科を抱えている大病院に片端から電気ショック療法を受けられないかと問い合わせた。

 が、残念な事に積極的に行っている病院はなく、よしんば鬱病で入院したとしてもやる事は寝て飯を食って薬を飲むだけという家で療養するのとさして変わらぬ加療しか受けられないという残念な話も聞かされた。

小人閑居して不善を為す(暇人はロクな事をしない)

どこに歩けばいいのか

 病気休職中の話であるが、リタリンで躁状態になっては払えもしない代物に散財をして家族に多大なる迷惑をかけたと前回書いた。

 最後には家族の前でクレジットカードにハサミを入れてもうこれ以上の迷惑はかけぬと誓うまでに至った。

 一つだけ言い訳をするならば、病気休職という事で常に積みあがった仕事漬けの日々から解放された私は何をしていいのかわからなくなっていた。

 何をすればいいのか考えても何もなく、したい事すらないという圧倒的な虚無だけが自分だった。

 する事もしたい事も出てこなくなるのがうつ病というものである。

どうしたいかなんて俺も知らん


 日課として毎朝通院して抗うつ剤の点滴を受けるのだが、病院を一歩出ると足をどちらに向けていいのか決められない。

 どっちに行っても何もないし、どっちに行く理由もない。

 リタリンで空虚ではあるがハイテンションになっている時だけは充実感のある時間だった。

 昼間行くところもなくあてもなくほっついていた私は、当然なのか偶然なのか

「昼キャバ」

 などが集まっている昼間の風俗街に足を踏み入れるようになった。

昼間の蝶

岡山放浪記

 昼キャバというのは字の通り、昼間から営業しているキャバクラの事であり、当時の岡山の繁華街は結構にぎわっていたので昼間営業する店も複数あったんである。

 昼間からふらふらしている大人相手の商売である。大してお金もかからない上、何もする事のない廃人相手にも優しかったのだ。

 別に一軒の店をお気に入りにして入れあげる訳でもなく、適当にふらりと足を踏み入れた店で初対面のキャバクラ嬢と飲み放題の発泡酒を片手に話をする。

 ロクな売上にもならない一見の客に対して女の子たちは優しかった。

 精神をやられて療養中である事を話すと、

「あたしもこんなのだけど、大変よね」

 とリストカットした跡を見せてくる子も珍しくなかった。

普通は出さねぇだろ、それは

 そんなぐあいに風任せに昼間の閑散とした歓楽街を彷徨っているうちに、ある店にぶらりと入った。

 接客についた子はやる気が無かったのかあったのか今考えると疑問な態度だった様な気もするのだが、映画の話になってどんな映画が好きかという問いかけに対してその子は

「ルイス・ブニュエルとか」

と答えた。

 ここで解説が必要だろうと思うのだが、ルイス・ブニュエルというのは第二次世界大戦頃のダダイズムに多大なる影響をあたえたスペインの映画作家で、有名どころで言えばサリバトール・ダリなどと組んで活動していたその筋では有名な方である。

 会話を盛り上げるのが仕事のキャバクラでドがつくマニアックな映画監督を出してくるというのは野球の試合でいえば先頭打者の第一球からマジ狙いでデッドボールをぶつけてくるようなものである。

 やる気あんのかお前という話なのだが、たまたま私も高校時代カルト映画などを見まくっていたのでルイス・ブニュエルも非常に良く知っていた。

「ああ、あの目ん玉カミソリで切るやつでしょ」

 もう説明は不要かもしれないが、「アンダルシアの犬」という作品の有名なシーンである。

 デッドボールを打ち返してホームランになったのか、それをきっかけにしばらくして私はその子と付き合う事になる。

人生の長期休暇

 地方の特徴であるが、地元の歓楽街で働いていると地元バレの危険があるので隣の街の歓楽街で働くというのがスタンダードスタイルであった。

 その子も例に及ばず、少し離れた街から通ってきていた。

 私は実家で静養中なので自宅にしけこむという事もなく、店で会って無料サービスのビールをガンガン飲まされながら話したり、長電話をしたり、時折街をぶらついたりしていた。

 ちなみに、私がペンネームに使用している「ひろぽん」というのはその子が私の携帯メールを脇からのぞき込んで何故かメールの題名に使われていた

「ひろぽん」

というワードに反応してしまい

「ひろぽんさんって言うんだね♪ ひろぽん♪」

と、いつの間にか命名されてしまったのがきっかけで使い始めている。

 何をしていいか分からなくなっていた私にとって、その子と話し、その子の悩みや忘れていた他愛ない日常の話に付き合う事はとても楽しかった。

 仕事のからも解放されて自由な生活を送りながらのその子と過ごした時期は生涯最後の楽園と思っていたのかもしれない。

 先の事を考えられないという点では全く前に進んでいない事には気づかなかった。

 ただ、目の前が楽しいだけで十分だったのだ。

ラストレター

 楽しいだけで物事が解決するなら苦労はしない。 

 彼女にとっては先の見えない仕事やストレスなどがあり、私には気づくだけの繊細さがあろうはずもなくひたすら久しぶりに訪れた春を謳歌していた。

 ある日、彼女は入院してしまった。

 アトピーの持病を抱えていたり、健康とは言えなかった彼女だが、帯状疱疹が悪化してしまったのだ。

 当時はガラケーの時代でメールでのやりとりしか連絡の取りようがない。

 精神的に安定しているとはとうてい言えず風任せで過ごしていた私は、いつの間にか彼女との連絡も疎遠になっていった。

 もう数十年近く前の話だが、彼女が私を呼ぶときの少し鼻にかかった

「ひろぽん?」

 という声は覚えているような気がする。

山口よ、私は還ってきた

 そして休職も二年近くが経ち、精神的にも経済的にも全く良くなった実感が持てないままなし崩しに復職が決まり、私は山口県の二年近く家主不在となっていた自宅へと戻っていった。

 そこで待っていたのは、凪のような穏やかな日々がちょっぴりと、百通りものパワハラとモラハラを使い分けるとんでもない上司との出会いであった。

 楽だったとは言い難いが、外から受けるストレスが無かっただけ、自分の人生の中で過ごした小康期だったと今は思う。次に出会う厄災までの助走期間だったと言うのがあながち間違いでない所が複雑ではあるが。

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コメント一覧 (2件)

  • ひろぽんサン、こんにちは!

    心から笑えなく、無理に顔だけ笑うのってめっちゃエネルギーを使いますよね。
    あとで心身にきます。
    で、なにも出来なくなります。なりました。

    私がいま働いている役所では、毎日、謎なマイルールを押し付けるチャーシューが吠えまくっています。
    すごいデブです。はじめは『豚肉』という名前が付けられていましたが、『豚肉だと、可能性がある!!』(←なんの料理にもなれる)という事で【チャーシュー】になりました。笑
    ヤツは女性ですが、乳より腹が出ていて『私ねー、お医者様から甘いものを禁止されているのー』と言いながら、てんこ盛りの焼き飯をペロっとたいらげます。
     一同、『ええ!? 糖質制限じゃね!?』と思ったのですが。笑

    夜のお仕事や、特にメイド喫茶なるお仕事の方、メンタル病んでる方が目立ちますね。
    自分もそうでした。私の場合は早朝キヨスク、昼間は会社員だったのでまだマシだったかもですが。

    電気ショック療法、本当にあるんですね!!
    ほんと、【リセットボタン】があったら、、、と何度本気で思ったことか。

    最近週末に福祉施設へおじゃまして、利用者の皆さんと楽しくさせてもらっています。
    知的・精神障がい者さんのデイサービス施設です。
    先日はここの利用者サンが『かえるの歌』を熱唱されていました。
    それが、すっごく楽しそうに大きな声で歌っていて、かえるの歌でこんなに感動するとは思ってもいませんでした。
    うまく伝えられませんが、こういうのでいいやんな~って思いました。

    そうそう!!
    めっちゃ遅くなりましたが、ひろぽんサン、お誕生日おめでとうデスヽ(^o^)丿!!
    背中の痛いのも気になりますが、今週も楽しく過ごせはりますように♪

    • まかさんこんばんは😊

      コメントありがとうございます(((o(*゚▽゚*)o)))
      1週間お疲れ様でした
      どこにでも自分勝手な理屈で自分は正しい!と思い込んでしまう人はいるものですね
      周囲からあだ名がつけられる位ですから周囲の人たちはまだマトモなのでしょうかねえ

      夜のお仕事とかメイドコンカフェはいわゆる「感情労働」なのでメンタルにはキツいでしょうね
      感情労働というのは肉体労働は身体を使い、知的労働は知能を使って働くのに対して感情を使って働く労働なのですが、最初にまかさんが
      「笑いたくもないのに笑顔になるのは疲れる」
      とおっしゃってましたがこれも感情労働に入るでしょう

      メンタルが原動力の仕事なので向いていないともちろん病みます

      電気ショックは、当時できる治療を探してもうこれしかないと決めて探していました
      今はその発展系の治療法があるのですが、保険適用されず自由診療なのと行っている医院が少ないのであきらめています

      背中ですが、無理にストレッチなどをしたせいで却って治りが遅くなっているようです💦
      かえるの歌、いいですね
      幸福や満足を得る1番の方法は、
      「幸福感や満足感を感じる閾値を下げる」
      事だそうです

      要はささやかな事でも幸福や満足感が得られるよう自分のセンサーの範囲を広げてやることらしいです

      まかさんの感じたものは凄く素敵なものだと思いますよ

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