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地味に辛いよロンドン留学⑪ 「男女交際・初級者編」

 ロンドンだろうがウラジオストックだろうが若かろうがなんだろうが、人間集まれば付き合いが生まれる(私は時折ハブられる)。

 単なる知人友人その他諸々みんな仲良しで収まれば平和なのだがここに男と女が絡んでくると面白い事になる。

 11話目まできたので今さら説明するのもなんだがここから読み始める奇人の為に説明すると、これは私ことひろぽんが学生時代にロンドンに留学した1年間について無責任に過去を捏造した記録である。

 基本的に私について都合の悪い事は書かないので気にしなくても良い。

目次

語学学校は人種のるつぼ、でもない

隣の席が同じようにお昼を食べると言い切れない世界

 英語の総本山とも言えるイギリス、しかも首都ロンドンである。語学学校には数多の国々から学生が集まってきて混ざり合い、人種のるつぼと言っても過言…なんである。

 具体例はあげないが、何せ隣の国(隣だからという話も的を射ている面はある)の言葉や風習ですら

「理解できない」
「同じ人間として話が通じる気がしない」

 と拒絶反応を示してしまう事だって珍しくはない。むしろ隣の国だからこそ攻めたり攻められたりで互いに事実に裏付けられた不信感を持っていたりする。

 隣人と仲良くできない者がもっと遠くに住む人たちに対してどう反応するかというと、基本的な所が違い過ぎているので

「個々に通じる所がある者どうし、そこを接点に繋がる努力をするしかない」

のだが、何でそこまで大変な思いをして交わらなくてはならんのだという結論に行きついてしまうようである。

かくて語学学校のフリースペースは同じ人種、同じ言語圏、同じ文化圏で塊りになりダマのできまくったホットケーキミックスのような状態になる。

 ずいぶん古い話になるが、ニューヨークの事を多国籍の人種が溶け合う「るつぼ」に例える通称に対して

「言うほど異人種交流もしてないし、いいとこ『人種のサラダボウル』じゃん」

と皮肉というよりも現状に対するシニシズムに基づくような例えの方が共感を呼び、そちらの表現の方が使われるようになった話を思い出したりもした。

 昼食にBLT(ベーコン・レタス・トマト)サンドを食べようとしたところ、たまたま近くに席を取っていたハラルの国の人にとって食べ物の範疇に入らない代物を目の前で開陳してしまうなんて事もありうる世界である。

 広い世界に出ていって知らない相手と殴り合うよりは多少の違和感は飲み込んで安心できる相手に我慢した方がマシというのも別に間違ってはいない。毎日が冒険というのは案外疲れるものである。

 後、何の説明もなく出てきた「ハラル」という言葉だが私も良く知らずに出したので今調べた所

「イスラムの教えや法によって許された食材や料理方法」

 だとAIに最近地位を脅かされているGoogle先生が教えてくれた。

お国が違えば何でも違う

 アメリカ人男性と聞いて体育会系の陽キャかイジメられて銃の乱射でもしそうなナードのどちらかを思い浮かべてしまうレイシストのひろぽんであるが、国ごとのマジョリティがどんなタイプかとかどんなタイプがその国では好ましいとされるかといったものは結構違うものである。

 クラスメイトにイスラエル出身の女の子がいたのだが、これが

「絶対お前、下着はヒョウ柄かなんかやろ」

と思わせる肉食系というか猛獣のような激しい性格と自己主張の持ち主であった。言葉が通じない相手とよくあれだけ喧嘩ができるものだと文化の違いも意に介さないストロングスタイルに半ば感嘆すらしていたのだが、なんとイスラエルではそれくらい激しく自己主張できる性格の方が良いとされていると聞いて更なる感銘を禁じえなかった。
 
 別に世界史の先生でもないので説明はしないが、イスラエルというのはユダヤ人が闘って戦って闘い続けて成立している国である。周囲は全部交戦歴のある敵性国家で国民は男も女も皆徴兵されるのがほぼ当たり前な世界。

 和を以て貴しとなすなんて言ってる暇があったら弾よこせアパーム!な世界では苛烈なまでに自己の存在を強く保たないとやっていけないのだろう。少なくとも合コンで気おくれしてサラダの取り分け係なんかやっているようでは寿命は短そうだ。

 そんな彼女も、日本人の鉄板の持ちネタである

「肩こりというのはどういう感覚か」を教えてやろうとする日本人の女の子に肩を揉みほぐされてキャアキャア笑って楽しんでいたのを覚えている。
 
多分彼女も息災なら情勢不穏な母国で家族の安否を気遣う年齢の筈だが、どうしているのだろうかとほぼ30年振りに思い出した。

ひろぽん、学校デビュー

 ロンドン到着直後に現地の空気に気管支でもやられたのかいきなり高熱を発して学校にも行けず寝込んでいたが(「ロンドン放浪記④」参照)、ようやく復調して学校に通い始める事ができた。

 どこもそんなものらしいが、いつ学校に通い始めてどれだけ通うかはケンブリッジ英検など期日の決まった試験対策コースを除くとほぼ生徒の自由らしくふらっと授業に加わった私は特に奇異な目で見られたりはしなかった。

 その代わり、構ってくれる人もいなかった。

 本来なら大学四回生、しかも一浪しているから社会人一年目でもおかしくはない年齢である。その歳の男に積極的に最初から構ってくる方がどちらかと言えば注意した方が(財布とか貞操とか)いい。

 あれ?元々ヨーロッパ一周旅行をして(「欧州鉄道周遊記/ユーロトレーラーズ」参照)人と会って話をするのが楽しかったって書いてなかったっけ?と私もこの時の不安感を振り返ってみて疑問に思った。

 シチュエーションの問題である。

 旅先で会う人たちというのは一期一会の存在、金と命さえ無事なら多少の無茶や無謀さも醍醐味というやつである。比べるに、これから数か月を過ごす学校という場所で不登校にならない限りほぼ毎日顔を合わせる訳である。

 ハプニングバーと公務員限定婚活パーティーぐらい状況が違う。

 少なくとも初日からやった事もない便所飯に走る根性も無ければ売店のおばちゃん(後に仲良くなった)相手にコーヒー片手に談笑する肝の太さも無かった私は、近くにいた東洋系の学生に声をかけた。

「あ、日本からこられた方ですか?私も日本からきたばかりなんです」

とスマートそうに見えて一番リスクの無い行動に出たのだが、これが裏目に出た。

 声をかけた相手と、いても二人か三人くらい相席者が増える程度で知り合いが増える分にはちょうどいいなどと考えていたのだが

 まさか日本人女性十人以上と一緒に昼食を取る事になるとは思ってもみなかった。これは自分が鬼龍院ナントカとでも源氏名のついたナンバーワンホストでもない限りサラダの取り分け係に専念するしかやる事がない。

 しかも彼女たちも知り合ったばかりなのか話も特になく誰が誰だか何がなんだかわからぬまま新鮮なのにまるで味のしないサモサをもそもそと水で流し込んだ。

 学校という箱だけ用意してある程度の人数の学生を放り込んでおけば勝手にお互い仲良くなるのなら苦労はない。ましてや学校とは違って年齢から性別まで千差万別な背景の持ち主が集まる訳だし。今回は私だけ性別が男という点で大きく違っていた上にお呼びで無かった訳だが。

出会いを求めて

 これは学校の方針に拠る所が大きいと思うが、街中にある学校ほど放任主義で授業が終わったら即散り散りになり、郊外や田舎にある学校ほど学校主催のパーティとかダンス体験会などのイベントを行って学生同士の交流を促進するようにしていたような印象がある。

 単に街中の学校に通っている学生はロンドン暮らしが板についてきて、学校のサポートはないが授業料が安い学校を選び、これから留学を始める学生は不安感もあるからか学校のサポートが手厚く治安の良い学校を選ぶからではないかとも思うが。

学校選び、やや失敗

 少し昔、まだ円が強い通貨だった頃

「外こもり」なる言葉が一瞬だけメディアに出て消えた。

 外があるなら内もあり、「内こもり」というのは国内で実家の子供部屋などに引きこもっているトラディショナルなダメ人間であって「外こもり」というのは日本である程度円を稼いでは物価の安い国のドミトリーとかいう安宿に引きこもって金が尽きるまで過ごすという何がしたいのかわからないという点では外も内も同じ行動様式のようであった。

 外こもりをしたい訳でもなく、普通に人間関係を築いて学校に通いたいというごく普通の希望を持っていた孤独な留学生である私は

「学校主催のワインパーティー(放課後に行う)」のお知らせを見て心を躍らせた。

 普段の学校生活では会う事のない学生と話すいい機会かもしれない。ワインはこの際オマケというか口実である。

 当日、私はある事実を思い出す事になった。

「この学校は日本人学生が多く・・・(当時集めた資料より)」

 参加者の殆どが日本人、しかも女性率高し。完全アウェイである。こうなると飲むにも飲めない奥ゆかしい量のワインの存在が恨めしい。

 懲りない私は同じ過ちを

「サルサ体験レッスン」

 でも犯す事になるのをまだ知らなかった。

あれはパンですか?いいえ猫です

 学校に行くのが辛くはならなかったのかと言えば、全くそんな事はなかった。

 学校として講師の質に気を配っていたからか偶々なのかは知らないが、授業は面白いと思えたしクラスメイトとも顔なじみになってくればそれなりに楽しいものである。教科書の内容だけの講義を受けて、雨どいを英語で何というか覚えてもそれはあまり楽しそうには思えない。

 私のクラスの講師は、午後のリスニング・スピーキング(オーラルコミュニケーションですね)の時間いっぱいを使って

「熊のプーさん」の朗読をやったという噂が学生間に流れるほどの(そして皆やりかねんと思った)気骨ある人物であった。が、悪評だけでなく外国人向け英語講師としての学位をケンブリッジ大学で取得した正規の資格所有者であるといった真偽の確かめようのない噂が同時に流れ、学生たちはこの講師をどう判断したらいいのか悩むのだった。

 授業は教科書よりも、授業を割いて教えてもらえる英語の典型的なジョークであったり、「イパネマの娘」という曲は知っているが歌詞は知らない有名な曲の歌詞を解説してくれたりといった「木でいうなら幹ではなく枝葉」の部分が今でも記憶に残っている。特に有名なシャンソンの曲「枯葉」は歌詞までまだ覚えている位印象に残った。

 元々そこそこレベルの英語力はあるクラスである。

「私は何故逮捕されているのですか?」
などといった必要な英会話はできるといえばできる。

 が、「Are you pulling my leg?」(からかってるの?)といったくだけた口語表現には弱い。そしてこういった表現に通じる事が英語の勉強を無味乾燥した暗記の反復から解放してくれていた。

 先ほど挙げた(からかってるの?)という表現だが、午前中に教わり昼休みにクラスメイトに使ってみた。

 クラスメイトは

「YES!」と答えてそのまま私のスニーカーを引きはがしてそのまま逃げて行った。

 名前も思い出せないが、あいつだけは日本の感覚では捉えきれない笑いの感覚を持っていた気がする。
 

腐れ縁でも縁は縁、登場

 考えてみれば学校で一番時間を費やしているのは授業なのだから、授業を共にしているうちにあるようなないような連帯感みたいなものが生まれて来るのも当然である。しかも当時勉強の虫だった私は

「寝坊して遅刻するのが確定のバスの中でテキストを開いて勉強する」という意味のわからぬ刻苦勉励を己に強いていた。

 週末は特に示し合わせる事もなく学校の近くにあるパブに集まって飲むのだが、実は私はこの集まりのどこが楽しいのかよく分からなかった。

 パブといっても若者向けのクラブみたいなもので、大音量でダンスミュージックが流れ皆飛び跳ねているような勢いで身体を躍らせている。知っている顔を見かけてもちょっと手を挙げるか「おう」と顎をしゃくるぐらいが精いっぱいで話なんかできる環境ではない。皆と一番顔を合わせるのはビアサーバーのあるカウンター前で後は人ひとヒト。

 で、高いビール代だったなあと思いながらバスで帰路につく。これのどこが楽しいのかよく分からない。分からない自分の方が変なのか、皆身体を躍らせてるようで実は肉体言語かなんかで会話してるんじゃないかなどと悩んだりしていたりして、当たり前だが行かなくなった。

 こんな日々を送っているうちにロンドンについて一か月が過ぎようとしていた。

 そう、こちらに来てから長くて一か月の知人とは喰った釜の飯の数のケタが違う大学の同期であり、かつ留学を目指す同志としてうだうだ長電話に時間を費やしたり留学情報を共有しようと持ちかけては面倒な質問は私にやらせたり、語学学校の手続きなど私がやったのを丸ぱくりして人をポケモンのごとく扱った(「ロンドン放浪記②」参照)

「青山」さんがロンドンに到着するのである。

 なお、今後は「さん」づけ及び尊称は一切使用しないのでご了承願います。

 こいつも私の留学生活においてはキーパーソンなので残念だがオミットする事ができないのだ。ステイ先に落ち着いて学校の手続きを済ませた彼奴は早速、ドラッグストアに寄って何だか知らないフレグランスの類を買うから付き合えと言い出した。

 そのぐだぐだ感の懐かしさについ負けてしまい、買い物のお供をした挙句自分でも「CK BE」なるオードトワレをつられて購入したのだが、私にとっては高い高い買い物であったそれをみた青山はさらりと

「あー、高校生とかつけてそうよね」

とやっぱりこいつは日本を出なかった方が私にとって有益だったのではないかと思わせる言葉を放つのだった。

 語学学校は事前に申し込んでいた三か月のうち半分が過ぎ、残り一か月半となっていた。
 
 記憶が曖昧なので時系列的に話をどう集約させるかそろそろ考えないといけないが、ロンドンでの生活の第一期が終わる時期が近づいてきていた。

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