下記の記事で紹介した二か月かけてヨーロッパを鉄道で一周した旅行の後日談をひとつまみと、新しく生じた苦労をどんぶり山盛でお伝えしたいと思います。
(2022年5月31日初稿
2023年10月3日加筆修正)
向学心が消える前
夢も希望もあるんだよ
高校生の頃である。
当時私は臨床心理学やカウンセリングに関する本を読み漁っていた。
臨床心理学とはどんなもんか適当に説明すると「悩みや病気、障害などを抱えた人を理解し、支援することを目的とした心理学の分野」¹⁾である。
当時自分が発達障害だとは全く知らなかったものの、どうにも周囲になじめず浮いており
「なんか…生きにくいなあ」
と悩んでいた私の為に存在するような学問ではないかコレと図書館で専門書だろうと入門書だろうと手当たり次第に読みまくった。
そして、臨床心理学を学び、それを活かす職業がある事を知った。
カウンセラー(臨床心理士)である。
自分の人生に役立てられそうな学問に魅力を感じた私は、当時臨床心理学が学べ、臨床心理士になる為必要な大学院での講座も用意されていた大阪大学の人間科学部を志望し、合格後謎の高熱で入院するくらい勉強して一浪で合格した。
心理学部なぞ無かった時代
今は様々な大学に心理学部が設けられているが、私が受験生だった頃はそんなものはなく心理学を勉強したい人は文学部の心理学科などを目指すしかなく非常にマイナーな存在であった。
その中で、大阪大学の人間科学部では「行動、社会、教育、の三つの専攻」を選びつつ、専攻に縛られず興味のある授業を受ける事ができた。
「人間の行動や心理のあり方、社会、文化、ジェンダーとは何か、といった基礎的な研究をはじめ、学校教育、老人福祉、国際協力と開発、紛争と災害からの復興支援などの現実的課題までを幅広く対象として、「人間とは何か」を研究する」²⁾というモットーの基に運営されており、心理学だけでなく社会の変遷が人のあり方に影響していった過程など幅広く知りたいと思っていた雑食系知識欲の持ち主である私には
「自分の興味ある分野を学部の中で自由に選んで勉強できるなんてステキ…」
とキラキラ光り輝いて見えた。
通称「変人科」
当時、このような「学際指向で自分の興味ある切り口から選んで勉強する事ができる学部」というのは殆どなかった。
教養系、リベラルアーツ系の学部が似ていると言えば似ているが、似て非なる存在である。
旧帝レベルの大学でこのようなスタイルの学部というのは当時唯一無二の存在であり、日本中から志望者が集まってきており難易度も中々に厳しいものであった。
現役時に適当にしか勉強していなかった私は関関同立の一つにしか合格せず、浪人時代必死になって勉強してなんとか合格した。
入学して分かってきたのは、日本で唯一の学部を志望して入学してくる学生というのは個性的というかわが道を行くといった魂の持ち主が多く、学内では
「変人科」
などと呼ばれてたりしたという事だった。
実際、個性豊かな学友に恵まれたという点は特筆に値する。おまけというか、理系の色が強すぎて男分多すぎの大学にしては半数が女子学生という素晴らしい環境でもあった。まあ、個性が豊かすぎて入学一か月もしないうちに退学したり休学して留学したため殆ど顔を見なかった同期など枚挙にいとまがない。
向学心が消えてゆく
アカデミックな素養がない
肝心の授業内容であるが、最初の二年間は教養科目中心である。
専門で必要となる数学や統計学、情報処理についても学ぶのだが真面目に授業に出てコツコツ勉強する習慣というものが大学生になっても身についていなかったダメ学生(私の事である)にはややハードルが高すぎた。
自分の関心のある切り口からいくらでも学べるという事は、自分のモチベーションが無くなると何もやらなくても過ぎていくという事でもある。
E.フロムの「自由からの逃走」ではないが、内発的動機づけのない人間に際限のない自由を与えても豚に真珠である。
講義をさぼって大学の生協などで友人たちとのおしゃべりに日中の大半を過ごし、夜はどこかへ飲みに行き、そのうち押しかけ彼女とどろどろぐちゃぐちゃな関係をこじらせてしまい私は勉強からどんどん遠ざかっていった。
楽しい毎日ではあるが、何をしに入学したんやという話かもしれない。
が、「生きているのが楽になる」事を望んだのが進学の動機である。
毎日ワイワイ賑やかに過ごす生活は非常に解放感に満ちており、それはそれでいいかと思っていた。
又、講義を受講していると自分にはアカデミックに知的欲求を掘り下げる素養がない事も早々に判明し、学問にかけようという志は阪急豊中駅あたりで置き忘れたのか気づくと無くなっていた。
多分箕面方面の電車に運ばれていったに違いない。
臨床心理学は?臨床心理学はとれたの?
肝心の臨床心理学などの講義や講座であるが、一年上の先輩の話からすると
「志望する学生はカウンセラーになるよりカウンセリングを受けた方がいい人ばかり」
というのがぶっちゃけた評価であった。
実際、私も他人のために役立ちたい訳ではなく、自分の生きづらさをなんとかしたいというのが原動機であり、カウンセリングを自分の職業としていくのは無理があるといまさらながら気づき、臨床心理学を専攻する事はあきらめた。
ただ、他にも理由がないわけではない。
臨床心理学講座は学内でもトップ人気の講座であり、所属講座の希望を申し込むにあたって講座側から
「第二外国語はフランス語履修、他に〇〇、××の講座を履修済の学生しか希望は受け付けない。なお、希望を受け付けた学生の中から面談で選考を行う」
という厳しい条件が出されていた。
登校してもこの手の学生向け掲示を見る習慣が全くなかったダメ学生である自分は所属講座の希望を出す段になって初めてこの条件の存在を知り、当然ながら条件を満たしていなかったので希望すら出さなかった。
その後、文部科学省の職員として大学で働き始めた私だが、重要な告知を見ないで期限直前に泣きついてくる学生さんに対し
「あのな、掲示板だけは毎日でいいから見てくれよ」
とどの面さげてそんな事が言えるのかという指導を毎日行う事になるとは思わなかった。
人間、きちんと帳尻が合うように出来ているのかもしれない。
新しい目的
経験値パワーレベリング
大学で学ぶ事への意欲がいい感じで薄れてしまった二回生の夏、私は二か月近くかけてヨーロッパを鉄道で一周した。
そこで得たのは
「毎日が新鮮な日々の輝き」
「海外という今まで経験した事のない環境に身を置く事で感じた生きている手ごたえ」
であった。
私が旅行している時にイギリスに短期留学していた同期の子も(上記の周遊記に出てくるドイツからイタリアまで一緒に旅行した女子の同期は彼女である)留学先での生活が忘れられず、日本に戻ってきて日常の退屈さに鬱屈を覚えていた私たちは日々長電話をして夏の楽しかった日々について語り合い
ついには費用を貯めて長期留学をしようという話になった。
大義名分は大事なの
留学、それも長期留学となるとハイそうですかとできるものではない。
特に一年近くの留学を考えていたので、大学の卒業は一年遅れてしまう事になる。
無茶な話に説得力と実績を持たせる為、二つの条件を自分に課す事にした。
- 留学までに卒業に必要な単位はすべてそろえる
- 留学費用は自分で工面する
中々厳しいハードルだったけれど、そこまでやらないと人生の道草を一年も食う選択に賛同など得られないと決めてしまった。
別にそこまでハードルを上げなくても良かったかもしれないが、私は何かやりたかったんである。
週に13ぐらいの夜勤も含むアルバイトを掛け持ちし、1日に複数のバイトは当たり前だった。
夜勤を終えて帰宅し、1時間ほど過眠を取って大学に通い、帰宅して又過眠を取ってバイトに出る毎日。
それでも、目的の為に頑張っている自分というのは気持ちのいいものだし、友人や彼女との付き合いは削らなかったので孤立して煮詰まる事も無かった。
それがあったがゆえに頑張れた面も大きい。苦労もなかった訳ではないが。
大学の講義はというと、一回生の時さぼりまくった第二外国語のフランス語の単位が足りず、まじめに理解している時間もなかったのでテスト前のバイトの夜勤の時間を使って教科書の例題と演習問題を全て暗記してテストをパスするなどというアクロバティックな形で単位を取ったりしていた。
そして大学三回生を終える時、百何十万円かの貯金と卒業論文以外の単位をフル取得する所までこぎつけた。
【次回予告】
諸手配が中途半端だった為に深夜のロンドンでべそをかく話
参照文献
¹⁾臨床心理学科で学ぶ | 立正大学 心理学部.(2023年10月3日参照).www.ris.ac.jp › psy › clinical
²⁾大阪大学 GUIDEBOOK 2021.https://web-pamphlet.jp/osaka-u/2021p/html5.html#page=23
コメントをもらえるとうれしいです
コメント一覧 (2件)
ひろぽんサン、こんにちは!
ほんと、なんかの目的の為に頑張ってるって楽しいですよね!
ちょうど私も同じ頃、頑張っている自分がいました。あの頃の自分はすごかった、と褒めてやりたいデス。
今は何の目的も無く、朝になると夜になるのを待って、そして夜になると朝になるのを待つ、という どうしようもない生活です。汗
でも、ひろぽんサンのこの記事を読んで『ああ、あの頃みたいに頑張ってみようかなー』と思いつつあります。
あの時の空気感を思い出させてくれて、ありがとうデス♪
まかさんこんにちは!
コメントの返事が遅れてすみません。
何かの目的の為に心底頑張れてる時は充実感がありますよね。自分の先はここにあると見定めて突き進めるのは幸せな事です。
今は延々と続く撤退戦を続けている気分ですね。先に進んでいないのに力を振り絞るしかない状態。
なにかしら頑張れるものを見つけ出したいものですよね。
と、今年セカンドキャリアを目指して受験した鍼灸師の国家試験に二回目の落第をしてあきらめたばかりの私が言うのも変なものですが。
ただ、あのころは「とにかく先に進みたい」という気持ちに駆られていましたね。