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地味に辛いよロンドン留学②「おうちはどこ?」

 何とか留学に必要な費用と大学の単位は揃えたものの、留学の手配も自分でやらねばならない貧乏暮らしのわが身。何とか済ませたつもりがとんでもない見落としをしていたため夜11時を過ぎたロンドンの人気のない住宅街で途方に暮れる事になるのだった。

(2022年5月21日初稿
 2023年10月11日加筆修正)

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地味に辛いよロンドン留学①「欧州鉄道周遊記、その後」 欧州鉄道周遊旅行から戻った私は、長期留学を決意し学業とバイトに励むのだった。
目次

現場は足で稼ぐもんや

金は人生の潤滑油や

 さて、前回の話では留学費用と一年大学を休学していても余裕で卒業できる単位を無理やり揃えた所まで話したと思う。

 もうこの時点で貧乏生活なのは分かっていたが、貧乏というのはお金を払って他人に面倒な事をやってもらう事ができない事でもある。

 てな訳で、留学する街から学校、予算配分まで何から何まで自分で決めて契約していかねばならなかった。

 これが結構しんどい。

くどいようではあるが、その頃の時代(90年代後半)はインターネットが普及し始めたとはいえ、今のようにありとあらゆる業種がサイトをつくりそこから情報を手に入れるなんて事はまだまだできない時代だったのだ。せいぜいが、日本語フォントも入っていないPCもあるなかでローマ字でメールをやりとりする程度である。

 留学先の情報というのもやはり足で稼がなくてはいけない時代で、「地球の歩き方 留学編 ロンドン」というヨーロッパ旅行の際にお世話になったガイドブックを買ってきたりして読み込んでみる。

 無論、それだけの情報でなけなしの大金で見知らぬ土地に飛び込むなぞ全裸で大気圏突入するのと全く変わらない。
 
 私は一緒に留学の希望を語り合っていた同期の女子と情報収集に大阪の街を歩き回った。

 留学エージェントのオフィスを訪れてロクに相談もせずパンフレットを山ほど持ち去ったり、ブリティッシュカウンシルという英国文化振興会、 要は海外にイギリス文化と英語教育を広めていこうという文化侵略については巧みなイギリスの出先機関に出入りしては情報を集めていたりしたのだ。


 あれ?これなんかブリティッシュカウンシルの職員さんたち親切じゃん。

むしろ私たちの方が情報の為に迷惑かけてるよね。ブリティッシュカウンシルは現在もネットの世界に足をのばして活躍中なので私たちの代わりといってはなんだが頼りにしてあげてほしい。

 が、すべて文字情報ばかりである。そりゃロンドンに語学学校がいくらあるかを考えれば情報をぎっしり詰め込むしかないから当然である。

だがそうなると土地勘もなにもない人間には判断材料が授業料などのコストぐらいしかなくなってくるんである。経験豊富なエージェントさんでもいれば又違ったろうが、相談するにもお金はかかるんである。

 ただでさえ地球の裏側まで行くのに日本を出る前からお金を使っていてはどうしようもない。

決めた理由がさっぱりわからん

 とはいえ日本を出立する期日も迫ってきており、学校や住む場所などとにかく決めなくてはロンドンについた瞬間からホームレスになってしまう頃にようやく学校が決まりホームステイ先などが決まってイギリスから通知書などが届いてきた。

 が、今思うと謎なのだが、その頃私は英語を喋れなかった筈なのだ。

 バイトと大学の単位に命を削っていたので英語の勉強をしている暇がなかったという阿保な理由である。どうやって先方とやりとりをしていたのか?

 以下は私の推測である。

当時ウィンドウズ98あたりが出て猫も杓子もパソコンを持つようになっており、Excelを何のためにつかうのかすら知らない私ですら当時の彼女とノートパソコンを買いに行って持っていた。

 これは、留学してもネットにさえ繋ぐ環境があればメールのやり取りができるからという甘々な理由もあったのだが使う機会は残念ながらなかった。

 で、当時のWindowsには電話回線につなぐと先方にFaxをおくれるという機能がついており、おそらくこの機能を使ってイギリスの語学学校に連絡をして先方からは郵便で書類を受け取っていたのではないかと思う。

 さすがに今の時代では想像しづらいだろうが、海外てのはそれくらい縁遠い存在だったのだ。

 で、当の語学学校であるが決めた理由がさっぱり思い出せない。割と上等な住宅街にありつつロンドンの中心部にもアクセスが良かったのを覚えているが後は授業料で適当に決めたのだろう。

 日本人学生が多いというのも本で知っており、知らん人は知らんだろうが林葉直子も通っていたという話であった。だからなんだとかいうな。

我先に吶喊せんとす

あのアマざけやがって

 と、いう訳で学校やら飛行機の手配やら色々追われていたのだが、もう一人留学生活の相方になる筈の同期の女子は何をしていたかというと、留学に出発するのが私よりひと月ほど遅れるといって学校からホームステイの手配まで全部私がやったのを観察しつつそのままなぞって済ませたのである。

 つまり、私は面倒ごとがないか、あってもどう解決するかというモルモットなのであった。その後、同居までしていた私たちはお互いのそういったろくでなしな部分(ろくでなし同志だから気はあうのである)を憎みあう事になり帰国一か月前に同居を解消して私は友人のフラットに転がり込み居候をするはめになった。

 まだそんな事を知らない私は、荷造りをし、関西国際空港に朝早く行かねばならないので当時の彼女の実家に泊めていただき飯の味が分からないというステキな一夜を過ごして日本を立ったのだった。

 シンガポール航空という当時ナンバーワンの人気と評価を得ていたフライトで、民族衣装の綺麗なCAさんにのぼせつつ、13時間はかかろうかというフライト中に読む為に持ってきた司馬遼太郎の

「坂の上の雲(全十巻)」

を延々と読みふけっていた。

新嘉坡良いとこ一度はおいで

 が、フライトチケットをよく見なかった(出発地と時間だけは確認しておいた)私は、シンガポールのチャンギ空港でトランジットの為一晩夜を過ごさなければならない事 を知ってびっくりした。

 どうせ金を持っているようにも見えないのだからと、ダウンタウンにあるチャイニーズタウンの安宿に荷をおろして近くの飯屋に夕食に出る。

 地元の若いねーちゃんやにーちゃんが元気で少々うらやましい。特にねーちゃんが美人なのが(略)私は田鶏のお粥を頼むことにした。

 田鶏って何かというと「カエル」である。一度食べてみたかったので場末の食堂で掻き込むのもちょうどいいかと思ったが、

 圧倒的に可食部が少ないんでやんのよ。

 おまけにゼラチン質なのかなんなのか骨の周りにはぬめーっっとしたものが分厚くついていて肉の味なんかろくにしない。

 つまんないのでミネラルウォーターを買ってぶっそうなダウンタウンを出歩く気にもならず早々に床についた。

 しかし新嘉坡の女性は美人ばかりだったなあと思う。戦争で新嘉坡に行った父方のじいさんは暇だったので港でサメを撃って遊んでいたと言っていたが確かに平和が似合う街ではあった。

東京は夜の七時

霧のロンドンエアポート

 さて、それから12時間ほど経ってロンドンはヒースロー空港にたどりついた。

 が、やけに閑散としている。時計を見て納得した。

 夜の11時に国際空港に用事があるやつはそうそういなくて当然である。

 出発時間は忘れると乗れないのでチェックしていたが、到着は乗ってりゃ嫌でもつくんで気にしていなかった。

 確かに嫌な時間だがついてしまった。

 どこまでも詰めが甘いのだ私は本当にもう。

 幸いな事というか当然というかホストファミリー宅の電話番号に住所、最寄りの電車と駅まで学校から教えてもらえている。最寄り駅までいけばタクシーの一台でも拾えばなんて事ないでしょ。



 『神様』「そんな訳ないんやで(にっこり)」。



 到着した最寄り駅は、こじんまりとした住宅街の中にあるかわいらしい無人駅でタクシーどころか駅員すらいやしねえ。

下手すれば私が大阪で住んでいたすこし人気の少ない住宅街と同じくらい店もなければ何もない。灯りがそもそも少ないので怖い。

 幸いな事に公衆電話があったのでホストファミリー宅に電話する事はできた。夜の11時という非常識な時間だけど。

 すると駅から単純な道だからすぐ来れるよと言われた。

真夜中のストレンジャー

が、がである。

語学力がないから留学してきた人間が、いきなりネイティブの人間に知らん街の道案内をされて上手くたどりつけるとしたらよほどの豪運の持ち主である。

 普通は駅にいるからと迎えに来てもらうよう交渉するのが正しい異邦人の在り方であるが、私はホストファミリーのアドバイスどおりに馬鹿正直に駅からホストファミリー宅まで歩き通してしまったのだった。

 それでたどり着けた理由はというと、駅から道一本まがる必要のないシンプルな立地だったのと、金持ちファミリーだったのでどこからがホストファミリー宅なのかが非常に分かりやすかったからというシンプルな理由である。

 が、それがなければ今頃はロンドンの無縁墓地で眠っていたかもしれないので何事も運という要素は大きいものである。

 人っ子ひとりいない町を20分以上スーツケースをひきずってメモを頼りに不安ながら歩いていた私は抱きしめてもいいくらいけなげであったと思われるが、原因は自分の旅程立案のミスだったのでどうしようもなかったのだった。

 しかし、到着予定日の夜11時になっても姿を見せず、いきなり電話してきて

「おまえんちまでの道教えてや」

 ととんでもない事を言ったのも私くらいであろう。

 【次回予告】

 なんとか夜11時のロンドンで貞操を守り抜いたひろぽんだが、実はヨーロッパ旅行の時も同じ事をやらかしていた。学習能力が猫並みとはいえ酷い話である。
 次回【パリ24時】

  1. 移動プランを立てる時には到着時間、所要時間をきちんと確認しましょう
  2. ラスト100mこそ慎重に
  3. カエルは特においしくない
  4. 結婚前に夜10時以降の外出はやめとこう
こちらに続きます
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今回のポイント

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コメント一覧 (4件)

  • 最近、この当時に生きているのかというくらいネットに触れていない、まかデス。
    自分のことのように懐かしい気持ちで読みました!以前の記事も覚えていますが、さらに面白くなっていて、コーヒーと一緒に楽しく読ませて頂きましたよ。

    ひろぽんサンが開いた道を辿っただけの女子よりも、ずうっと経験値が上がっていいですよ!確かに、生きた心地がしなかった気持ちは1万%分かります!!!
    平和な楽しい週末を過ごせはりますように♪ヽ(^o^)丿

    • まかさんいつもコメントありがとうございます
      Twitterでは最近お見掛けしないのでこちらのコメント欄を見た方がまかさんの動静が分かるようになってます(;^_^A

      >以前の記事も覚えていますが、さらに面白くなっていて

      これは本当に思い出すと脂汗が出てしまいます。読み返してみたら本当に面白くなくてびっくりしました。
      なのでほぼ書き直して面白さに舵を切りました。
      同期の女子ですがルームシェアを解消した後、日本に帰ってきても同期の友人たちは卒業して就職してるし、下手に気ごころが知れてる分楽なので社会人になってからもとしまえんのプールに2人で行ったりよくわからない付き合いが続きました。

      でもこの子、付き合う男性に対してはマジ鬼畜でした。イギリスで付き合いだしたポーランド人のBFからの手紙も読まずに全部捨てておりその理由が「めんどくさいから」という・・・

      その③は更に酷い話になるのでお待ちください

  • 相変わらずのテンポの良い文章!もうね、ファンです!留学初日は、不安だったでしょうが。

    彼女のしたたかさにびっくりです。
    そんな子とは、お別れしてよかったんですよ!

    昔は(Windows98時代)そんなにインターネットからの情報は得られなかったのですね…それなりに病気の掲示板などはありましたが、Wikipediaもありませんし、SNSもなかったですものね。

    2ちゃんねるは、あったかもしれませんが…()

    カエルを食べた話。
    そんなに美味しくなかったんですね。
    鶏肉に似ているとか言いますが?!

    さすがはホストファミリー。受け入れるには、大きなお家がないとできませんね。
    お金持ちエリアでよかったですね。
    暴漢やレ◯プ魔におかま掘られなく到着できて。
    到着時間を検討に入れていなかった、ひろぽんさん。少し笑ってしまいました。ごめんやで。

    ①も、かなり面白かったのですから、頑張って③も、期待しちゃっています。
    楽しみです💕

    • まどかさん、お返事が遅れてすみません💦
      今回はテンポ良く、かわりにやや柄の悪い言葉遣いのひろぽんでした

      同期の女子については、こちらも面倒ごとは相手に対応させようとかしていたのでお互い様ですね
      だからルームシェアなぞしていた訳なのです

      win98の時代はニフティとかPC-VANといったパソコン通信は全盛期でしたね。インターネットに繋ぐのにニフティ経由で繋いでました
      海外からニフティに繋ぐ方法も一応調べていったんですよ

      カエルは旨味も感じないし非常に淡泊なお粥でした
      唐揚げとかいいのかもしれませんね

      そして、何故こんなに詰めが甘いのかというと、以前の欧州鉄道周遊旅行で変な経験を積んでしまったからなんですね
      とりあえず行ってみりゃ何とでもなるという考え方で計画もろくに立てずに二か月もふらふらして上手くいっちゃったものですから・・・
      そりゃ夜11時に無人駅で途方に暮れる訳です

      面白いと言っていただけるのが何よりの励みです
      次回は何故か又欧州鉄道周遊旅行の話に戻りますけど

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