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地味に辛いよロンドン留学⑩ 「ひろぽん、日本の彼女と揉める 後編」

 簡単な話だけど、新天地を求めてそこにたどり着くために努力しているという事は
「今の環境から離れていく」
 事でもある。

 新天地に飛び込む意気込みに満ちた人と、離れていく事に不安や寂しさを感じる人。
この差を埋めるのが思いやりとかなんだろうけど、自分の事で一生懸命で気づきませんでした。

(2024年8月14日初稿)

前回はこんな話
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地味に辛いよロンドン留学⑨ 「ひろぽん、日本の彼女ともめる 前編」 日本に残してきた彼女とすれ違いが生じても気づかないひろぽん。日本にいた時からその兆しは見えていた。
目次

お互い繋がるための努力

パソコンを買いに

 冬に入り、私と彼女はパソコンを買いに大阪日本橋に足を運んだ。
当時は二人ともパソコンを持っていなかったが、インターネットやEメールという存在は大学の情報処理の授業で知っていた。メールアドレスも学校から貸与されたものがあり、イギリスからネットに接続できればEメールでやり取りする事ができる。

 今でこそパソコンの大先生づらをしているひろぽんだが、当時はガソリンエンジン車とEV車の違いが分からないのと同じくらいのレベルでIT関係にはうとかった。何せ大学の情報処理センターに並んでいるワークステーションを何に使うのかがわからない。友人がノートパソコンを買ったというのを見てもそれで何ができるのか分からない。

 そんな右も左も分からない状態でNECのノートパソコンを購入したのだが、B4サイズのいわゆるサブノート。いきなり間違えている。
同梱ソフトも「Word-Excel同梱版」と「一太郎-Lotus1‐2‐3同梱版」のどちらかを選ぶ事ができたのだが、Wordや一太郎って何が美味しいのと真顔で言える無知加減。

 プリンタなども同時に購入したため、価格が一万円安かった「一太郎(略)同梱版」を買う事にした。二人分となるとかなりかさばる買い物で、ひいこらいいながら彼女宅まで運んだのを覚えている。

当時のパソコン通信事情

 当時はインターネットプロバイダーだけで食べていける企業というものはなく、日本ではニフティーサーブやPC-VANといったパソコン通信業者が提供するサービスとしてインターネット接続があった。

 あったが、パソコン通信と同じくインターネット接続も分あたり〇〇円といった具合に利用料がかかる仕組みになっていた。おまけにパソコン通信にアクセスするには電話回線を使っており、今のようなカケホーダイといった概念もなく接続していればいるだけ通話料まで取られる仕組みになっており非常に金くい虫なのが当時のネットだった。

 海外でプロバイダーに加入してネット環境を整えるというのは裸で国際宇宙ステーションから地球に帰還しようと大気圏に突入するのと同じくらいハードルが高い。

 調べてみると、コンピュサーブというアメリカの通信業者のサービスをニフティーサーブの会員は使えるらしい。
コンピュサーブの接続ポイントは海外に広く展開していてイギリスにも存在した。つまり、コンピュサーブに現地で繋げられれば日本のニフティーサーブのサービスが利用できてEメールが使える。

 今のネット事情からすると訳がわからないだろうから適当に意訳すると、

「海外でネットを利用する為には現地キャリアのSIMカードと端末を使ったテザリング経由でないと繋がらない」

 めんどくさそうだが、実情はもっとややこしいのである。

知は力なり

 ここら辺のパソコン通信で何とかならないかという試みをしていたのは私であった。
彼女にしてもITリテラシーは私と変わらないので二人で取り組んでいても互いにギスギスするだけだったと思う。

 が、当時のWindows98というOSには「Microsoft Fax」という機能が標準でついており、電話線につなぐと作成した書類がFaxで送信できるようになっていたんである。
 この機能を使えば、パソコン通信がどうのとかEメールがどうのとか考えなくても彼女にFaxで連絡が取れた訳なのだが・・・

 こちらでFaxを受信する設備がないから互いに情報のラグは出てしまうものの、わざわざ電源変換アダプターまで揃えて使えないパソコンをイギリスまで持っていくよりは役に立ったよなあと思う。

ロンドンでネット環境を求める

学校に1台だけのPC

 語学学校は世界中からの入学申し込みや問い合わせに対応するためなのか、ネットに対応していた。
が、使えば使うだけ使用料がかかるのが当時のパソコン通信やネットの世界である。例外は専用回線を引いていた大学などの研究機関や、大手企業それも研究部門、後は軍事用回線ぐらいなもんである。

 学生相手に開放したらそら何に使われていくらかかる事になるか分からない。
と、いう理由で学生への福利厚生の一環としてメールアドレスを作って貰えるのだが、使えるパソコンは

「全学生に対して一台」

という悲しいものであった。

 それでも使用可能な時間になると学生は列をつくり、メールの為だけに時間をかけていた。
私も利用したが、日本語環境なんてローカルなものに対応している訳がなく使えるのはアルファベットのみ。最初の頃は英語でメールを書いていたがそれも面倒になり、ローマ字でメールのやりとりをしていた。

 なかなかマシンが空いていなかったのとローマ字で限られた時間に書けるメールは情報量が少なすぎるのでそのうち使わなくなっていた。

渋ちんステイ先

 ホームステイ先で電話回線にアクセスさせて貰えれば、前出のコンピュサーブ経由でメールが使える。問題はこの交渉がややこしくなりそうな事。

 前もってどう話すか下書きを書いた。内容はというと

「ネットに自分のPCを繋ぎたい。必要なら通話代を負担するから電話回線を使わせてくれ」というもの。

 しばらくしてステイ先のご主人(医者)がわざわざやってきてこんな事を言って帰っていった。

「うち、ネットとかの為に専用回線引いてるから他の人がつないで利用しようとすると手続きとかややこしいんだわ。だから却下ね」

 もし許可が出てもややこしい事になっていただろうし、これで良かったのかも知れないが、ネットの利用は夢で終わった。

ひろぽんさんたらお手紙書いた

需要と供給

 当時の国と国との間でのやりとりはエアメールが主である。国際電話というものもあり、私も関係が揉めだしてからは埒が明かないので利用した事もあったが安くはない。

 その点、エアメールなら紙に書いて郵便局(雑貨屋の兼業みたいな所だが)で出すだけなので制限だらけのネットなどと比べると非常に使い勝手がいい。私もロンドンに到着して即原因不明の高熱で寝込んだが、回復してからはまず手紙を書いた。ちょうど語学学校から5分ほど歩いた所にある雑貨屋が郵便局も兼ねており、そこでエアメールを出している知り合いに出くわしたりするのは日常であった。

 ロンドンに来てからというもの、自分にあてがわれた屋根裏部屋でさえ新鮮で部屋の中をスケッチしたものを送ったりと今の環境について山ほどエアメールを書いては送った。週に二通かもっと頻繁に送ったような気がする。学校とステイ先を往復して机に向かう日々の中、どんな事があったかと便箋に綴るのは気持ちが晴れるものだった。

 が、肝心なのは「自分がこうだった、ああだった」という話ではなく、「あなたの手紙を読んでこうだった、ああだった」と「読み手」と自分とのキャッチボールが上手くできているかである。率直に言うと、彼女からするとロンドンでの新生活なんかどうでもいい話であり、色々離れて不安になっていたりする自分の問いかけにどう相手が返してくれるかが大事なんである。

 新生活に夢中になっていた私は、彼女にしてみればクソどうでもいい話ばかり送り続けていた。

量より質です、こういうのは

 「そっちで私の事を思い出すって言ってたけど、どんな事を思い出すの?」
 「毎日会ってたのがそっちに行っちゃって〇〇日経っちゃったね、うーん」
 「こんな服買ったよ、どう思う?」

 大事な相手と離れているなら、こういう相手からのボールは絶対キャッチして投げ返すべし。相手の事がどうでもいいなら適当にお茶を濁せばいい。私の場合、相手からのこういった細かな問いかけというか話のとばぐちを見逃してしまい自分の生活や思う事ばかり書き綴っていた。

 年賀状や暑中見舞いならそれでもいいかもしれないが、遠距離恋愛はじめたての相手に対しては落第である。

 彼女が「自分の話ばかりでこっちの聞いている事やこっちの気持ちに全然反応を返してくれない・・・」と不満を持つのも無理はない。

ローマ字で歌へ君が代

割と早めに愛想をつかされる

 五月の頭ぐらいだろうか、久しぶりにメールをチェックすると彼女からのメールが届いていた。なんだろうと開いてみると

「anataha itumo jibunn no kotobakari, jibunn no kotosika atamani nai. sayounara」
(あなたはいつも自分の事ばかりで、自分の事しか頭にないよね。もういい、さよなら)

 という内容のものだった。

 メール一本、それもローマ字という現実感のない三行半が身に染みてこなくてクラスメイトに

「彼女にふられちゃったみたい」と話してみたり、ショックでない訳ではないが特に生活が変わる訳でもない日々を過ごしていた。

奇跡的なタイミング

 さよならメールから1週間か2週間後、ステイ先が旅行中なので同居人たちとリビングで足を伸ばしていた所

「ひろぽん、電話だぞ」と同居人に告げられる。

 そもそもかかってきた電話を居候が取る事自体ほぼありえない。ご主人一家がいないから代わりに電話を取ったという事であるが、無視しても問題ない話である。

 誰からなのか説明ではよく分からないのでとりあえず電話に出ると、彼女からだった。

「ひろぽん、ごめん、ごめんなさい・・・(泣く)」

どうしたのか聞いてみると、例のローマ字メールの後に私が送ったエアメールが届いたそうだ。そして、そのエアメールには自分の予定として

「日本に帰ったら、君の住んでいる大阪の企業を対象にして就職活動をしようと思っています」

と書いていた。

 彼女の気持ちを取り戻すメークミラクルな内容であったようで、初めての国際電話もよく分からん同居人もものともせず私に繋ぐのに充分な内容だったようである。

 そんなこんなで初めての別れ話は自分ではあまり覚えていないエアメールのお陰でタイミング良く修復できたのだが、ここで生じていた行き違いは尾を引きつづけて私のこちらでの生活にプラズマクラスターもかくやとばかりのマイナスの影響を及ぼすのだった。

 【久々に次回予告】
「ひろぽんの男女交際・初級編」

 なんか幸せな内容になりそうにない仮題ではあるが、ブログの修正などやりつつ頑張ります。

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コメントをもらえるとうれしいです

コメント一覧 (3件)

  • まどかさん、コメントありがとうございます。

    あの頃(一太郎とWordの違いも分からなかったころ)だと、大家さんの許可を貰えても多分設定できなかったと思います。

    当時は1回ネットに繋がったら中味を全部ダウンロードして接続を切り、その後ダウンロードしたものを読んでましたね。
    凄いボッタクリ。

    あの頃までは本当に良く手紙を書いていましたね。手帳には友人の住所と電話番号が並んでいて。

    メールと手紙、上手く使い分けても殴り合いの手段が増えただけのような?

    パソコンで書いていると長くなりますよね
    今はパソコンでやりとりするよりLINEが早いのですが、時代は変わるものです。

  • 人生って、タイミングが大切なんですね。。。
    メールとお手紙の行き違いですね。
    これで元の鞘に収まるのかと思いきや、結局は残念な結果になってしまったということでしたか。覚えがない手紙の内容、というところが不味かったのでしょうか?

    恋愛は難しいですね。

    この時代のネット環境がよくわかります。
    一旦回線を切ってから、掲示板やメールを書いた気がします。
    でも、ローマ字でしたっけ?そういえばそんな気もしますが。

    大家さんはケチですね。お金持っていそうなのに。お金持ちほどケチって言いますしね。お手紙を書くという行為が懐かしいです。
    今ではほとんど書いていませんね。年賀状もやめようと思っていますし。
    なんでもメールやらラインになって、便利だとは思いますが、情緒がなくなりましたね。
    でもね、私、失敗しないので(ではなくて汗)
    もとい。電話が苦手な人なので、楽になりました。
    特に職場に電話をするのが面倒くさいという、社会不適合者なのですが、直近の退職意思は、ラインででした。楽でしたねえ。

    そういう煩わしい人間関係に関しては便利になりましたが、親しい間柄では淋しくなりましたね。

    ヒロポンさんも、メールとお手紙の二重のやりとりではなく、どちらか片方だけにしていたら、タイムラグが生じず、うまくいっていたのかなあ?

    などど、なんの文章の構成も考えずに、殴り書きしちゃいました。
    というのも、かなり久しぶりにパソコンから書いているのですよ。
    タイプするのが久しぶりなので、ミスタッチが多くて、変な変換があるかもしれないです。顔文字も入れていないす。

    • Doctor Xさん?であってるのかな、失敗しない人。
      何せドラマどころかニュースもあまり見ないのでオリンピックが終わったと翌週になって知りました。

      メールは日本向けのPCだとちゃんと日本語仕様になっているので日本語が使えますよ。
      イギリス向けのPCで、多国籍な学生が利用するからわざわざ日本語環境を導入しなかったんでしょうね。
      スウェーデン人もアラビア人も拙い英語でメールを書いていたと思うと微笑ましいです。アラビア文化にローマ字のようなアルファベット表記法があると別ですけど。

      年賀状どころか年賀LINEすら書かない筆不精です。友達の数は急カーブで減りました。

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