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地味に辛いよロンドン留学⑧ 「ひろぽん、英語漬けの日々」

 全く留学の話が出ないどころかあっちやこっちで夜中に迷子になった話ばかりしているので一部では深夜徘徊の悪癖があるのではと勘繰られたりした事もあったが、とんでもない誤解である。
 単に「おうちに帰るまでが遠足です」という発想が無かった可哀そうな頭の持ち主なだけだ。勉強の話をする前に学習環境である語学学校について書こうかと思っていたが、書く量で比較すると勉強について書く方がカロリーが低くて済むので先に勉強について書こうと思う。

(初稿2024年7月4日)

前回はこんな話
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地味に辛いよロンドン留学⑦ 「ひろぽんの語学力って?」 語学留学に足を踏み出したひろぽん その語学の才やいかに?
目次

えいご漬けの日々

ダイバーシティなクラス割

 ようやく語学学校にたどり着いた。ロンドンに到着して早々に空気の悪さで高熱を出してしまい予定より一週間近く授業に参加するのが遅れたが、特に何も言われる事もなく最初にクラス分けテストを受けて「中の上」だったか「上の下」だったかのクラスで授業を受ける事になった。私が選んだ語学学校は日本人学生が非常に多く、元女流棋士かつ作家で当時知られていた林葉直子氏も在籍していたという。

 だからなんだという話ではあるが、私が割り当てられたクラスには他に日本人の学生が殆どおらず、覚えているのは

「タイの女の子はねー、みんなコレやるのよ(鼻筋を持ち上げて伸ばすしぐさ)」

 と自国での整形ブームで笑いを取っていたタイ人の子や、ビジネスでも留学でもなさそうな恰幅のいいアフリカ系のおばちゃん(と言っても30代中ごろだったので失礼な話である)とか、会社から派遣されてきたイタリアIBMの社員の男性ぐらいである。ちなみにイタリアIBMから派遣されてきたという方の話は、日本での就職活動時に日本IBMの面接で

「留学時にこのような方と知り合い、社員に手厚い教育コストをかける会社だと思い御社を希望しております」

と使わせていただいた。最も日本IBMの面接官の方はうちにそんな制度あったかなあと苦笑されていたがその面接は通していただけた。次の面接で落ちたが、日本IBMは当時過労死日本一と言われていたのでさほど無念ではなかった。

 そんな中、私は日本のニュースとして「榊原事件」について詳しく説明してクラスメイトにニッポン恐ろしやと引かれていた。

 べたべたとはしないが居心地の良いクラスで、アラビア文字や漢字など自国の字で自分の名前を書くとどんな風になるのか休み時間に皆でやって

「どう読んでいいのかさっぱりわからん」

などと遊んだりしていた。一応皆英語でコミュニケーションが取れるレベルではあったのである。フリートークは難しく、休み時間にべたべた絡まないのは絡みにくかったというのもあったのかとは思う。

そんな拷問あったよね

 学校に通いはじめて最初の一週間が終わり、私がまず赴いたのはロンドンの電気街と言われる町であった。Tottenham Court Road駅周辺(トテナムコートロードとでも読むのかな)である。

 が、ロンドンにはビックカメラもヤマダ電機もエディオンといった大型電器店というものが存在しないか、存在していてもネットの普及していない(語学学校にネットにつながっている端末が一台だけあり、それを使って皆母国とメールのやりとりをしていた)時代だったので情報が入って来ないため何かちょっと専門的なもので必要なものがあると扱っている店を探すのに大変苦労した。

 くだんの電気街とやらも、小さな電器店が数軒(10軒も無かったと思う)並んでいるだけで大阪日本橋などをイメージしていた私はそのしょぼさとしょぼい癖にアングラ臭漂う雰囲気にずっこけた。イギリスではリサイクルショップが今の日本でいうブックオフやハードオフ、セカスト並みにどこにでもあり、特に電器製品は掃除してるんだか周囲にゴミを吐き出しているのかわからないような数十年モノの掃除機や20世紀も終わろうかというのに回すタイプのチャンネルが付いているTVなどを新聞や雑貨店の店頭にあるメッセージボードに「譲ります」と広告を出して譲っては徹底的に使い倒していた。

 何せ21世紀になってから「受信料の区分から白黒テレビ枠を無くします」などと言っていた国である。考え方が根本的に違う。

 まあ単にあのリサイクル文化は、売ってる所がロクになくて高かっただけなんじゃないかと今は思う。(2024年現在、ネットで調べてみた所大型電器店もあるようだが、デパートのワンフロアとか生活雑貨大手の一角とか大型スーパーの一角と、とにかく「独立した専門大型店舗」というのはあまり無さそうである。現地在住の方のブログでは、まずAmazonに加入する事を強くオススメされていた。)

 それはさておき、私が電器店で買ったのは一台のラジオであった。ホームステイ先の部屋にも時計兼用のラジオがついてはいたが音量が調節できない上に動かせなかったので机の上に置けるものが必要だったんである。1000円だか2000円だかのお安いものを購入した。そして自室にいる時は起きている時は当然寝ている間もラジオをかけ続けた。イギリスのラジオ局はBBCが4だか5つのチャンネルを持っていてニュース専門から音楽専門、ドラマ専門と分かれており、民放は1局くらいしかなかった。これはTVでも同じ構造である。
 
 その中で、一番発音などが丁寧であろうニュース専門チャンネルを私はかけ続けた。要はリスニング力を少しでも上げたかったので英語の音に触れ続けられる環境を作ろうとしたんである。
 今までの日本での英語教育で読み書きはある程度の水準に達していただろうとはいえ、音としての英語に殆ど触れた事の無い私には授業も遅れずに聞き取るのにやや苦労したし、話すにしても頭の中で一度文章を組み立ててからでないと口に出てこない上発音が間違っていて通じていなかったりと

「音としての英語の経験値」

 が圧倒的に足りていなかった。

 そんな理由で24時間英語漬けの環境を作り無理やりレベルアップを図ったのだが、問題はニュースもそれなりに時事問題に関する語彙がないと聞き取る以前の問題だったので要はずっと意味の分からないものを無理やり聞き続けた事になる。

 寝かさず休ませずにこれやってたら拷問だよね、グアンタナモ基地あたりでCIAがやってそうな。

英語の学び方

英語で英語を学ぶという事

 で、肝心の語学学校で何をどう教わっていたかというと

「やり方自体は日本の英語(リーディング)の授業とさして変わらない」

 んである。違うのは授業を進めるのはネイティブ講師で授業は英語で進められる事と、英語にまつわる雑談というか豆知識も積極的に話題にして総合的な英語の理解を深めようとする点であった。

 授業の進め方はこうである。

 まず、テキスト(文章と新出単語、文法などが一回の授業分ごとに記載されている)を前もって単語を調べるなどして予習する。
 授業ではテキストの文章を読み上げ解説しながら、単語の説明などを行う。日本の学習指導要領とは無関係な英国基準なので知らない単語は多く結構大変だった。
 時折週末などの課題としてエッセイ(小論文の事)を課されたり、日記を書いてくるように言われたりする。特に日記は課題でなくとも奨励されていて添削を依頼すると真っ赤になって戻ってきた。エッセイ自体は日本語で考えた文章を英訳するだけなので割と楽しかった記憶がある。うろ覚えだが、

「国の医療補助はどこまで許容すべきか」

みたいなテーマが出た事がある。これが「大学レベルだよ」と非常に高評価を頂けて嬉しかったのを覚えている。

超えられない壁

 午前中はこんな風に座学中心で、午後になると又習熟度によってクラスが分けられリスニング・スピーキング主体の授業になる。

 これが苦手だった。クラス分けがいい加減なのか午後を受講する学生数が少ないのか、レベルが玉石混交なのである。ちなみに私は石の方。アイドルで言えば大食い担当(いるかは知らない)である。
 店での店員と客に役をわけてロールプレイしつつ実用的な会話を学んだり、ディスカッションをしたり、テーマを決めてトークをしたりと色々なレッスンを受けたのだがリアルタイムで聞いて話す処理ができないレベルなので授業の恩恵を受けたかといわれると判断に困る。

 クラスメイトの中には、授業中にニュース放送の再現(内容は適当だが、「〇〇より××がお伝えしました」まで流暢に再現してみせた)を披露する何をわざわざ勉強しに来ているのだろうというハイレベルな子もいて自分との差に圧倒されるのだった。ちなみにこの子、⑥あたりの「ひろぽん、ナンパする」で一緒に飲みに行った子である。しょっちゅう遊びに誘われたが、そりゃこれだけレベルが高ければ遊びに行く余裕もあるよなあという話。

えいご漬けで5㎏痩せました

腹が満ちると眠とうなりもうす

 やる気茶屋もかくやとばかりにやる気に満ち溢れて学生生活を始めた私は、ひたすら勉強にうちこんだ。学校から戻ると耳を慣れさせる為に自室ではラジオを流し続けつつ缶詰のスープとホストファミリーが用意している食パンで粗末な食事を取り、夕方5時から6時ぐらいから机に向かい授業の予習をしたり課題をこなしたりしているうちに0時になるので切り上げて寝る。

 朝は目覚ましが壊れているので大体授業には15分ほど遅刻して

「I’m sorry,I’m late」

 と教室に入っていく。後日日本人のクラスメイトに

「毎日遅刻してきてすみませんとか言っている割に全然悪びれてないのが印象的だったわ」

 と当時の事を語られた。

 昼は校内の売店でサンドイッチを買うか、近くのコンビニで買ってきたサモサ(インドの揚げ餃子みたいなもん、カレー味)を知り合いと食べる。が、日本人の男性というのも結構いるはずなのに滅多に目にしないので日本人の女性十人位と一緒に食べる事が多かった。ぼっち飯も普通で、そういう時は時事英語の勉強に買っていたニューズウィーク誌を読みながら食べていた。
 
 売店のおばちゃんは気さくで話していて楽しかったのを思い出した。

 別に他国の学生から嫌われていた訳ではなく、昼などの雑談中心の時間になると母国語が同じ学生同士でどうしても固まるのだ。どうでもいいといっては語弊があるが、何か特に意味のない話を英語でしろと言われても逆に難しい。テーマがある話の方がよほど簡単である。

 そして午後の授業を受けて帰宅、又夕方から机に向かう。

 その繰り返し。

 不思議と食欲はわかなかった。腹いっぱいになると眠たくなったり消化に時間がかかって邪魔だったからでもあったが。

 二か月ちょっとで体重は5㎏ほど落ちていた。生涯で一番スリムだった頃である。

優しさが耳に痛い

 そんな風にひたすら勉強を続けていたのだが、中々リスニングとスピーキングのスキルは上がらなかった。ある日、担任の講師に呼ばれて

「ひろぽん、君は日本にいた時に聴力に障害があるとか言われた事はあるかい?」

 と気遣われた。正直、そんなにアカンのか自分と落ち込んだ。読み書きとのレベル差が大きすぎたとも言える。

 実際、聴力障害がある訳ではないが後年になって私は発達障害で音声処理の能力が低い事が分かり、愕然とした半面色々納得もいった。日本だと音痴だとか独特のアクセントで話すなどといったレベルで済んでいたが、経験値の少ない英語を音として処理しなくてはならなくなった時にその処理能力の低さがアダになったようである。多分これがスペイン語でも広東語やラテン語だろうが新しい言語なら同じように苦労していただろうと思う。

 声優になろうなんて思わなくて本当に良かった。後アイドルとか。
 夢を見ないレベルに産んでいただいた親には感謝である。

ひろぽん、諭されてロンドン

経験値上昇中

 それでもひたすら勉強を続けて二か月と少しの事。いつものようにBBCニュースを流しながら机に向かっていると突然にその瞬間が来た。

「ロシアのロケットが打ち上げられ・・・」

 もちろん英語であるし多分勉強しすぎの幻聴ではないと思うが、いきなりこのフレーズが耳に飛び込んできた。分かったのはそこまでであるが、はじめてニュースが聞き取れた瞬間である。
 これで言葉を理解したヘレンケラーのように英語をスポンジのように吸収できるようになったかというとそう上手くはできていない。ただ、このあたりから相手の話している事を一回頭の中で日本語に置き換えなくても英語でニュアンスが取れる割合が増えていったようではあった。話す時もよほどかしこまらなくてはいけない時以外はそれなりに(繰り返すがそれなりに、である)自分の語彙や文章のストックから日本語を英訳しなくても口からそれなりに出てくるようになりつつあった。

 学費や生活費の管理の為に現地の銀行に独りで赴き口座を開設したりする程度の事務的な会話ならなんとかこなせるようになったのもこの頃である。

 後日英語学習法の本などで知ったのだが、英語が頭の中で翻訳作業をしなくても処理できるようになるのには大体三か月くらいの学習期間が必要であるという話である。もっとも、日本で仕事とかしながらの三か月と私の江戸時代の釣責にされて水樽に沈められる拷問を思わせる英語に頭まで沈みこんだ三か月とでは学習時間や効率が違いすぎるので、食事もそっちのけの三か月が必要だった私はやっぱりピンキリのキリの方だったのだろう。

バスの中での会話

 ある週末、ロンドン中心部からホームステイ先までのバスに乗っていた所、クラスメイトと偶然出くわした。

 アフリカ系のおばちゃんである。話した事がないので仲良しという訳でもないがニコニコしている気の良さそうな人だった。何を話していたのかほぼ失念(実は一昨日の父の誕生日に何を食べたかも昨日思い出せなかった。うなぎであった)しているが、こう言われたのをはっきり覚えている。

「もっとトカティブ(talkative:おしゃべり、軽口→話好き、話しやすいというニュアンス)にならないとダメよ」

 考えてみると勉強中心の生活で人と話す事にはあまり熱心ではなかった気がする(女性相手はそらもう熱心だった気がするが)。これは語学学習者としては再考すべき姿勢なのかもしれない。
 実際、暇な時に食堂を兼ねた中庭のベンチでニューズウィーク誌ばかり読んでいたので、日本人の男子学生から

「いい大学だからって鼻にかけて気取ってる」

などと陰口をたたかれていたと後日別の語学学校に移ってから再会した知人に聞かされた。

何が楽しくて日本人の男子生徒と話さなきゃならんのだというのが偽りない当時の本心である。

 が、そのすぐ後にロンドン生活を共にする親友と出会うのだから人間先の事はわからない。

こちらに続きます
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コメントをもらえるとうれしいです

コメント一覧 (4件)

  • うちは、親が学歴にこだわる人たちだったので、嫌なのかもです😅

    懲りずに他言語を学ぶのを、40くらいからやってみましたが、忘れる時はあっという間ですね!バリの白タクのおっさんと、くだらないジョークを話したことが、遠い昔です(*゚▽゚*)
    覚えるのは楽しかったですよ

    今は、ゴスペルの楽曲を理解しようとして、歌詞だけなんとなく意味を拾っています
    まぁ、ディレクターなどが訳してくれているのですけどね
    宗教用語なのでか、決まった言葉が出てくるのは、ある意味楽です
    こちらも、受験英語などは、すっかり忘れましたアハ
    映画をみて(ネトフリ)なんとなく言い回しを気にしてみたりしています
    この前は、韓国語を理解しようと思いましたが、すぐに興味がなくなりました
    飽きっぽいなぁ

    • 学校で毎日学ぶというのは馬鹿にできないですよね
      もっとも、数年前に通った専門学校では新しい知識の海で溺れましたが🌊

      現地でカタコトでも覚えると楽しいですよね
      話す内容というより身振り手振りで伝わる感じでしたけど

      ゴスペルですかー
      宗教用語も沢山出てきて普通の英語とは又違うのでしょうね
      あのお腹からでる声は憧れます

      今、昔集めていた洋ドラのDVDを見ていてたまに音声を英語に変えてみたりしますがさっぱり分かりません💦
      英文が聞き取れても意味がわからなくって…

      韓国語は文法がほぼ日本語と同じらしいので単語さえ覚えたら楽らしいですよ
      問題はモチベーションですよね

  • 相変わらずのテンポの良い文章ですね!
    なんとなく様子が目に浮かびます

    日本語に一旦訳さなくてもよくなる
    と言うのは、結構聞きますね
    なかなかそんなふうにならず、どうしても日本語変換からの英語になってしまいます
    3ヶ月ですか 今からでも遅くないかしら?苦笑
    他にもやりたいことがあるので、勉強のことだけを考えれば良かった時代に戻りたいです
    (ごくたまに)

    最後に書いていた、『いい大学だからと言って、偉そう』という妬みには、がっかり
    外国に来てまで学歴にこだわる人がいるのに、がっかりです
    日本人だからなのか?それとも外国人も同じなのか?!
    いずれにせよ、その行為が大嫌いなまどかです

    • まどかさん、コメントありがとうございます
      留学日記といいつつ、1番気乗りしなかったのがこの最初の3ヶ月の話でした
      だってひたすら勉強して、結果が出てくるまで話の筋がきちんとあるので遊びもないし「書かんでも自分の中では完結してるからなあ」と気が進まなかったのです

      「お腹いっぱいになると集中できないから」

      と敢えて粗食を選びながら毎朝すまなさそうな顔もせず遅刻していたあたりおかしいよなあと思いましたが…

      一旦頭の中で翻訳する必要がなくなるのは仕事の現場で行き交う専門用語がそのまま頭の中に入ってくるようになる現象の拡大版だと思いますよ
      医学用語とかその例だと思います
      難解でも元が日本語なので理解の為に越えるハードルが高く感じないのかもしれないなと思いました

      もう勉強だけに打ち込む生活は無理かなと思ってます
      理解力も記憶力も落ちた身では打ち込んでも成果が上がらず辛くて続けられないだろうと思います
      ある意味、いい時代だったのかも知れませんね

      最後の話はよく分かりません
      私の体験ですが入学して大学に通い始めて、友人先輩赤の他人と皆が阪大生という事を考えると最初はくらくらしました
      高校や予備校時代だと、阪大志望は全体のごくひと握りなのに今は目の前全てが阪大生!まあ、数ヶ月もすれば慣れるものなので阪大生という事に何も感じなくなります

      なので、最後のくだりが事実であろうとなかろうと私には

      「意味がわからん」

      話ではありました

      当時の(今も変わりませんが)受験制度で私には手が出せないなと思った学校や出身者は凄いなあと思いますが別に嫌な思いをさせられた事も経験してないですしね

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