大学卒業時に柔道整復師も鍼灸師の道も今までの教育費を考えて選べなかった当時の私。
勤め人になるべく就職活動を始めたが、それは後に言う「就職氷河期」の真っただ中の事であった。
(2021年6月28日初稿
2023年9月17日加筆修正)
ぐだぐだとした始まり
自分の中では既に折り合いのついている事をこうやって何度も区切りをつけつつ書いていくのは少し興が削がれる感じがある。
自分の中でカタがついたものは一気に外に吐き出して終わりにした方が自分の中で区切りもついてすっきりするのだ。
が、そんなエクソシストのワンシーンみたいな真似をされても困るのはそこにいた善意の読み手である。
私のブログに目を通している時点で善意とは何か問い直した方が良い気もするが、読む人の事を考えてこのブログを書いていこうと決めているのでそろそろ話を再開したい。
今までのあらすじその③と山一證券の倒産
今までのあらすじその③
学生時代、柔道整復師という職に興味を持ったが選ばなかった。
山一證券が倒産する時代を引き当ててしまった
さて、山一證券の倒産という当時何人がリアルに「飛んだ(富田林の事ではない)」か見当もつかない出来事がワンオブゼムに過ぎないという非常に混乱し傷ついた経済の中で就職活動をせざるを得なかった私である。
実はこれ、私に関してだけは面白くない事に明白な自業自得なのである。
前回ちょっとだけイギリスに留学していたと書いたのだが、留学期間をできるだけ長く一年近く確保したために日本での大学卒業は一年遅くなる事となってしまっていたのだ。
要は一年日本の大学を休学し、四年ではなく五年で卒業したのである。
就職活動を行う時期も同期で入学した学友たちとは一年遅れて行っている。
実はその留年も何もせずストレートに就職活動を行った学友たちの年は、後に
「嵐の中の凪」
と呼ばれるほど経済的にも一時的にだが安定を取り戻したように見え、企業の採用も意欲的だったのだ。
実際に学友たちの就職活動も色々あったようではあるが志望業界にほぼ内定を決めていた。
それを手紙(当時はインターネットの設置が面倒だったのだ)で知った私は自分の就職活動の前途に明るいきざしを勝手に見ていたのだが、それはわざわざイギリスまで来てBBCニュースで倒産を発表しうなだれる山一證券の経営陣を見るまでの話であった。
日本などという地球の反対側の国のニュースがヘッドラインを飾るなどというのは当時起きた酒鬼薔薇事件以来の事である。
・・・よく考えなくてもイギリスから見た日本というのは
「変な文化か、経済ぐらいしかかかわりのないしろもの」
というのがニュースを視聴していてよく分かる出来事だった。
後、私が見聞きした日本の情報についてはラジオで「日本ではゲームの中の女性と恋愛するゲームが流行している」とときめきメモリアルの事を紹介していた事とかである。
つくづく日本ってネタになる事だけは山ほどあるのね。当時受付で「たまごっち」をいじっていた事務のお姉さんとか見かけたし。
で、当の日本人の留学生については
「あいつら時計は変わったものをつけて、やたらこだわったデニムはいてるよな」
などと見事に見分けがつく事がわかったりした。性格としては主張がなさすぎてよくわからないらしい。
終わりなき就活
で、せっかくの就職活動の追い風に背を向けてしまった結果、逆風の中孤立無援で就職活動を私は行った。数多の最終面接で落とされまくったりしたものの、ITバブルの追い風を受けて大量採用をしていた某メーカー子会社に拾って貰う事ができた。
当時の私は、落とされ続けて受験する企業が無くなってしまい途方に暮れたあげく、会社四季報に乗っている企業に順番に電話をかけて
「まだ御社では採用活動をされておられますか?おられましたら是非選考に参加させていただきたいのですが・・・」
とローラー作戦をかけるまで追い込まれていた。
そんな時に、内定を出したらちゃんと入社するというなら面接しますよと話が通ったのが某メーカー子会社だったんである。
人生綱渡りの極致。
もっとも、その後の人生においても綱渡りの様な真似を何回も試みてその後不運にも転落死みたいな目に会っているのだが。
ひろぽん、社会人になる
で、SE候補として内定を頂き社会に出る事になった私だが、相変わらず何がしたいとか具体的な次元での発想ができなかった。
ただ、人の為に何かをして喜んで貰える事が非常に好きであるという事は分かってはいた。
が、会社で仕事をするのもそりゃ人様のお役に立つけれどそれは結果論としての話であって実際の手応えってあるんだろうかまでは良く分からない。
実際私は、
「自分にできる事で手応えの感じられる仕事はなんだろう」
と悩み続ける事になる。
公共の奉仕者という幻想
社会に出て様々な職と挫折を経た後に私は国家公務員となったのだが、今で言う第二新卒ベンチャー志望をこじらせて油で揚げたような経歴でも就けるまともっぽい仕事はもう公務員しかなかったんである。
という身も蓋もない理由だけではなく、公務員という職種を考えていた私の中には、落ち着いた仕事の中で人の役にたってささやかに静かに暮す事への憧憬とでもいうものが確実にあった。
公務員幻想というやつであるが、無論当時の私にそんなメタな視点は持てやしない。
片っ端から受験した公務員試験の中で受かった国家公務員Ⅱ種で、成績も良くない私を採用してくれた某田舎(山口県である)の駅弁大学(山口大学である)で公僕として慎ましく生活を丁寧に送りながら暮らそう。
と、まるで小学校から女子校育ちだった大学生が結婚生活にいだきそうなほど甘ったるい夢を見ていた。
当然私の事であるので、即地獄に叩き落される準備が既にされている事など知りようも無かったのであるが、まだ鍼灸の話にたどり着かないのはご容赦願いたい。
物事には順序というのがあるのである。
待て次回!
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