久しぶりの投稿だったので覚えてる人はいないというか、いたら脳みそにはもうちょっとマシな使い方があると個人教授したくなります。
では、これまでのあらすじ。
(2021年9月23日初稿
2023年9月11日加筆修正)
適当なあらすじ
公務員となったがいつものごとく不幸に見舞われ鬱を発症し、地元で療養することに。
それまで仕事に時間とすべての気力をささげていたので何もする事がなくなり途方に暮れ、昼間からキャバクラなどをふらふらする毎日。
ちょっとだけ彼女ができたりしたがそれも終わり、職場復帰するのだった。
たまには川の流れに身を任せてみた
てめえら本当にこれで病気が再発しないと思ってんのか
と、いう訳で結構長い間休職していたがよくわからぬ経緯のうちに復職が決まった。
復職といっても以前私がいた係には後任が補充されており、居場所がない。
前歴がIT企業かつ情報系の資格を有していた事から情報処理部門はどうかと打診されたのだが、業務内容が問題であった。
一応資格持ちのIT企業出身とはいえ、私がいたのは管理部門の人事部だったのだ。
業務でDBを使ったり構築したりという経験は積んでいるがあくまで業務ツールである。
開発経験もトラブル対応も全くの未経験者である。
そんな私が大学の情報センターで情報系専門職員の業務を打診されたのだ。
その分野では私はサボテンと同じくらいの事しかできない。つまり役立たず。
できない事を無理に引き受けさせられた結果休職したので、できない事はできないと言わなければ命に関わると骨身に染みている。
なのにこんな提案をしてくる事自体、頭の中にゃエッセルスーパーカップバニラ味でも詰まってんのか?こいつらは。
と、いう理由で見えてる地雷を踏む理由もないので断った。
本当に引き取り手がいなかったらしい
苦労するのも人事の仕事や
次に人事課が苦労して探してきたのが
「農学部付属農場係」
のポストだった。それまで係長一人の部署だった所に、係員として一名私を追加した事になる。
無理くりポストを作った時点で、大学内で私が受け入れられる場所なぞ既になくなっていたという事なのだが、休日出勤を泊りがけで行っても業務が片付かないのにファッキンな年末ボーリング大会のクソ幹事なぞやらされてダウンした身としては
「しらんがな。こっちこそいい迷惑だ。」
とひたすら先方に丸投げして流されるままに付属農場までやってきた。
要は窓際もいい所の左遷部署に島流しにされたんである。
大学が農場を持つ理由
大学に農場があるという事はそれまで私は知らなかった。
が、よく考えると大学には農学部と獣医学科があるので学生や教員の実習や研究の為に畑や田、家畜が必要である。
どれも生ものなので実習の時以外も世話をしなくてはならない。
それらの維持管理をするのが付属農場の役割だ。
もっとも、私がそういう農作業や家畜の飼育作業をやっていたかというとそうではない。
専門のスキルがない素人ではなく、専門知識を持った技術職員(大学が独立法人になる前は「技官」と呼ばれていた)がそういった業務を行うので農場係というのは農場の維持にかかる会計処理やらなんやらの事務処理を行う農場専任の総務係のようなものなのだ。
昔は農場で育てる野菜や植物、家畜の種類や数も多かったそうなのだが、経費削減という事で予算規模が年々削られ人が辞めても補充はされないといった具合に縮小を続けた結果、農場係も一人で十分間に合う業務量になり係長だけの一人部署になったようだ。
見知らぬ部署へ島流し
「ああ、あの人何もしないよ」と当時の上司から引き継がれたそうです
一人でも充分回る所に無理やり係員として押し込まれたのだが、当然仕事らしい仕事はない。
病気休職あけという事もあり一気に業務を分担するのも難しい。
ちょこちょことした雑用を任される程度だった。
付属農場は農学部の本館事務室からかなり離れているので一日に数回書類を取りにいったり提出しにいったりといった本当に雑用である。
別にもう積極的に仕事なんかする気のない自分にとっては係長が穏やかな性格なのをいいことに自発的に働くという事を一切しなかった。
空いている時間はパソコンで2ちゃんねるをひたすら読むか、当時流行しはじめたmixiを毎日更新してると結構あっという間に過ぎるもんんである。
言われた事以外は本当に何もしなかったので、次の係長に引き継ぎがされた際に
「彼?何もしないよ」
と説明を受けたらしい。
そんな内々の話を本人に明かすのもどうかと思うのだが別に評価されたくもなかったのでどうでも良かった。
小銭獲得業務
ここでちょっと話は変わるが、実はこの農学部付属農場では技官達が野菜や果物、牛を育てて農協に出荷したり大学内で販売して予算の足しにしていた。
業務の殆どがこの農場販売物の育成といっても良い。
なにせ、実習は週に一コマか二コマくらいである。
学生や教員の実習や研究の世話だけならほとんど人も時間もかからないし、学生実習に使った畑や田からはコメも野菜も収穫される。
捨てるのもなんだから売ってしまおうという事である。
そのうちに学生とは一切関係のない畑も増え、農作業の補助にパートの女性を何人か雇って本格的に果物から家畜まで生産しては販売していた。
相手が農協だろうと大学職員だろうと、収穫物を販売すると金銭のやりとりが発生する。
基本、技官は金銭の出入りには直接関与しない。業務に必要な物品を購入するぐらいである。
金銭を扱えるのは事務方である。
移動販売をする国家公務員
そんな理由から、付属農場で生産された野菜などの収穫物を農協に出荷したり、ワゴンに野菜を積んで学内を回って職員に販売して収入にあてるのは農場係に任されていた。
又、やらせる仕事がないという事もあり、私は農作業の人手が足りない時の手伝いに貸し出される事も多々あった。
例えば桃の栽培をしていたのだが、収穫して選別して箱詰めしてとなると収穫のピークには到底さばききれない量の桃が毎日実る。
100個単位で採れるのだから通常の人数だけでは手が足りなさすぎる。
そこで、収穫して選別し、箱詰めして出荷の準備をする肉体作業に私も一員として参加するというか、貸し出されていた。
午前中に出荷の準備をしてしまえば技官たちの仕事はひとまず終わりで、こんどは農場係として収穫物をワゴン車に積み販売する業務が待っている。
私の業務の半分は農作業、半分は販売とその収支管理という感じに落ち着いていった。
そりゃ同期にも馬鹿にされたけどね
職場に着ていくのはスーツではなくツナギの作業着であったが、デスクワークにうんざりしていた私は大いに気に入っていた。
Tシャツにハーフパンツという恰好で職場に居ても平気なのは、スーツで夏の猛暑の中収穫の手伝いをし、学内に果物(贈答品として人気があるのだ)を納品して回るのは無理だったからである。
非常に気楽であった。
午前中に収穫作業があれば、午後は販売に出る。
なければ事務室で2ちゃんねるとmixi、他所で働いている大学時代の友人とMSNでチャット三昧。
桃やブドウといった作付け面積が大きく収穫量の大きい作物のシーズンは午前中は農作業を手伝い午後は販売に出るという調子。
ネット環境があって好き勝手に使えたという事もあり、暇で病むという事もなく非常にシンプルな生活が私を待っていた。
誰からも期待されていないけど、別に期待もされたくもない。
比較的精神的に安定していた時期である。
短い幸せな日々
何が出るかな♪何が出るかな♪
怠惰ではあるが穏やかな窓際ライフに私は結構満足していた。
農場見学に来た近所の小学生を牧場に案内して草を牛に食べさせてみたり、畜舎から逃げた十数頭の牛を用があって離れていた技官が戻ってくるまで数時間牧羊犬のごとく一か所に集めたり、今まで苦しめられていた「仕事」とは全く別の「仕事」があった。
一人前の大学職員がする「仕事」とは言えないかもしれないが、一人前未満のポンコツになってしまった自分としては十分満足していた。
適度に体を使い、適度にネットで遊び、余力で事務を執る生活はそう悪いものではない。
が、私が考えもしなかった事がある。
「病気休職あけの職員のポストを農場係に作る事ができた。他にも問題のある職員がいたら農場係に任せよう」と人事がいらん事をする可能性であった。
農場に来て3年目、私と同じくメンタルをやられてしまった係長が異動でやってきた。
そこから私の短い幸せは崩れていくことになる。
単行本は続刊が出れば出るほど売れ行きが落ちるらしい
と、ここまで「拒幸症」というタイトルで3本記事を書いてきたが、まだまだ私の不幸は続く。
が、その⑭とかまで書いてしまうと新しく読もうとしてくれる人がいなくなってしまうので、ひとまずこの話はその③で終わりにして別の話で触れたいと思う。
書いていて自分自身疲れたという理由もあるのだが。
コメントをもらえるとうれしいです
コメント一覧 (4件)
こんにちは。
拒幸症を、全部読みました。
まだまだ上には上がいるのだな、などと酷い感想ですみません。こんな言葉で、苦しかった数年を語るな!と言われそう。
数回自殺未遂を繰り返したのは、私も同じです。人はなんのために自殺を繰り返すのでしょう。なぜやってしまうのでしょうか。
思えば、やらかした初めては、初めて勤務をした病院時代に、デパスや青い小さな薬剤が今とは違った管理をされていることを教えてくれたとんでもない先輩がいたタイミングです。(その先輩は夜勤の前に眠剤を使い、本気で患者が死にかけた時に、起きてこなくて、私が1人で対応をしました。)
これに風邪薬とお酒を追加したら、ラリることができると、いうことを知りました。理由は忘れました。
大した理由ではなかったのかもしれません。
本気の時は、もっと別なときだったかもしれません。忘れました。
初婚の時に、旦那の親からのさまざまなプレッシャーに負けてやらかしたことは覚えています。大阪の、コテコテのおっさん。歯に物を着せない人。人の事を慮ることができない人。
とにかく、人を殺すのはひとですね。
ブログを読んでそういった感想を持ちました。
まどかさん、しんどい話にお付き合いいただいてありがとうございます
本当に上を見ればきりがないのですよね
幸せな家庭は似通っているのに不幸な家庭は千差万別であると誰か(私かも)が言ってました
デパスとお酒、一時期私もやってました
官庁訪問で良い感触が得られないと帰りの電車で熱燗とデパスをあおってました
自殺未遂をおこすきっかけになったのはこれでラリラリに記憶が飛んで親に絶望させた事ですね
風邪薬とのカクテルは多分パブロンゴールドとお酒ですね
そこまでして認識能力を鈍らせないとやっていけなかったのは辛いことだったと分かったような事を言ってみます
人を殺すのは考えのない人のやった事ですよね
でも、生きていてくれて良かったですよ
聞いたふうな口をきくなと思われるかもしれませんが、私の話にお付き合いしてくれた方がいるのは安らぐものです
ひろぽんサン、こんにちわ!
ツナギ作業服が大好きな まかデス。
せっかくのいい環境でも、変な上司ひとりの為に仕事も面白くなくなったりメンタル病んだりって、ほんとヒトって大切ですよね。
最近は夜ちゃんと寝てはりますか?(・・?
いま、近所のコーヒー屋さんにいるのですが、転職活動中のオッサンが超大きな声でちっこいiPadみたいなのに向かってリモート面接中。
私が面接官なら、こんな周りの迷惑考えれないヤツは秒で不採用やのになー、と。笑
話は戻って、
ツナギ着て農作物の収穫だの移動販売だなんて素敵過ぎる~☆とワクワクしながら読んでましたが、
ほんと、タイミングですよね。
なんか我々は、いっぱい遠回りしてしまって、タイミングも良くなくて上手くいい波に乗れなかったような、、、。
時々、『ああー、今生もなんか失敗してしもたなー。』って思います。
そんな時に、マツコ・デラックスが司会?してたTVで
『私は20年前から来た私』といってた人の言葉を思い出し、この先はなるべく失敗しないようにと思ったり。
でも、目的もやる気も無く惰性でだらだら生きています。
今日金曜ですが、ワタクシは休みでした☆
ひろぽんサンも楽しい週末を過ごせはりますように♪♪(*’ω’*)
まかさんこんばんは!
つなぎの作業服、普通の体形ならホームセンターで2,000円ぐらいなのに、ビール腹のおかげでビッグサイズの作業服カタログ(あるんですな、これが)を取り寄せて数千円お高いものを着ていたひろぽんです。
ただし、生地はしっかりしていて良かったですねえ。
まさか文部科学省に採用されて農作業をやる事になるとは予想すらつかなかったです。夏は大変でしたが、悪くない生活でした。販売物の看板作ったりしたりレジを導入したりして。
それが成り立つのも崩れるのも人次第、というのがいつになっても悩む所ですよねえ。
転職活動のおっさんはそうでなくても覇気がないと悪印象なので頑張っていたのですよ。むしろ、リモート面接の場所を指定しなかった会社の方に問題があったんじゃないかと思う次第です。
>いっぱい遠回り
まさにそうですねえ。結局、何がしたかったのやらよくわからんうちに50歳が近づいて。
それでも、今までと比べたら今はまあ風呂でいうなら浸かっていられるぬるさなのでこれでいいかと思っています。
今朝出勤してはじめて月曜が休みの三連休と知り、今日はブログはお休みして読書とスマホゲーにはまってました。
昔山口に住んでいた時はDIYとインテリアが趣味でしたが、実家に帰ってくる際に断捨離(本800冊以上、大型マッサージチェアも処分)をして自室のインテリアは完成してしまいました。
家具のリペイントとか楽しかったのですがもう塗り替える場所が頭の中しかありません(´A`)
まかさんも良いお休みをお過ごしください